
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年7月14日号では、前号に引き続きすかいらーくホールディングス・谷真会長が登場し、「源流」である富山市を訪れた。
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母は、働き続けていた。電力会社勤務の父と離婚後、富山市南新町の自宅に棟続きの洋裁学校を開いた。中学生の娘と小学生の息子と3人の暮らしを立てていくためだったのだろうが、専業主婦から実業家への転身。厳しい日々だったに、違いない。
洋裁学校は、生徒はピーク時に計300人。加えて注文を受けて服を仕立て、住み込みの職員1人に縫い子が6人いた。ときに考え込む姿を、覚えている。雇い人をいかに動かし、どう運営するか。やがて知恵が浮かぶと、あれこれ工夫を始める。そんな母の姿をみ続けて、「何事も考え抜いて、工夫する」という谷真さんのビジネスパーソンとしての『源流』が生まれた。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
4月後半の休日、富山市を連載の企画で一緒に訪ねた。実家周辺は、姿を大きくは変えていない。母が父と別れたのは、7歳のときだ。ほどなく、何度も出かけるようになる。銀行へいって、洋裁学校を建てる開業資金500万円の融資を受けるためだ。
女性が融資を受けるのは、難しい時代だった。それでも江戸時代から富山で有数の商家だった血を継いで、起業家になった。実家跡の前に立つと、自分にもその血が受け継がれていることを、感じる。