母の「考え抜く」とは一つの方法ではなくいくつも関連付ける

 1951年12月、富山市生まれで、兄と姉がいたが、兄は早く亡くなった。

 母の様子から、考え抜くとは、一つの方法だけでなくいくつも関連付けて考えることだ、と学んだ。世の中にどんなニーズがあり、人々が胸をときめかすのは何か。大学で学び、すかいらーくで実践したマーケティングの基礎が、そこにあった。

『源流Again』で、長野県との境にあるみくりが池温泉の山小屋も訪ねた。立山連峰へ登るルートの一つ室堂平にあり、標高2410メートル。「日本一高いところにある温泉」とされ、再訪の日、周囲は残雪に覆われていた。

 立山連峰は、実家の前の幹線道路から東にみえる。小学校へ通うとき、毎日、道路の先に剱岳がそびえていた。毎日みていると「あの山に登ってみたい」との思いが強まっていく。地域の登山サークルを探し、入会させてほしいと頼んだが、まだ小学校2年生なので断られた。でも、あきらめない。母が銀行へ通ったように、何度も頼みにいく。相手は、入会させてくれた。

 大人たちの中に少年1人、剱岳へ登った。5年生から穂高岳や奥穂高岳、薬師岳を3泊4日か4泊5日で登る。室堂平に立って「まさに『そこにやまがあるから』という気持ちでした」と、頷いた。

 山好きの仲間に紹介され、関東学院大学の2年目から、この山小屋でアルバイトをした。暮れから冬の間は閉じられ、毎年4月15日に開く。その数日前にきて、大型連休が終わると東京へ戻って大学の前期試験を受け、夏休みにまた戻ってきた。

 山小屋では、食料をはじめ必要な品々を中継点から担いで、斜面を上下する。「荷揚げ」と呼ぶ作業だ。一度に何キロ担げるか、一日にどれだけ運んだか。それが、山小屋での「地位」を決める。体格がそう大きくなく、荷揚げでは、見劣った。

 落ち込んだ。では、どうすれば「地位」が上がるか。働く母の姿から生まれた「何事も考え抜いて、工夫する」という『源流』からの流れが、勢いづく。宿泊客は300人から400人。それだけの朝ご飯を炊くには、午前2時ごろに始めなくてはならない。山小屋で働く30人から40人のアルバイトの誰もが嫌がる仕事に、手を上げた。

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