芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「運命」について。

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「職業として郵便屋さんになりたかったとお聞きしましたが、子供のとき、どんな大人になりたいとお考えでしたか」

 そうですね。なぜか大人になる不安はありましたね。大人になれるのかどうかという自信がなかったように思います。大人になりたくない症候群のようなものが、生まれつきあって、できれば永遠に子供でいたいという気持ちが非常に強かったですね。また養子に貰われた先の老父母も、僕を大人にしたくなかったように思います。いつまでも自分の袂の下に置いておきたかったようです。大人になって自分達のそばから離れてどこか遠くへ行ってしまうのを恐れているように思いました。

 それは自分の腹を痛めて生んだ分身としての子供ではないということで、自信がなかったように思います。いつ自分達の所から離れて、実の親を捜し求めて、去っていくのではないかという不安です。そんな両親の不安が僕の情緒を不安定にしていたようにも思います。高校教育を受けて、さらに大学に進学でもすれば、その時点で親子が離ればなれになってしまう。そうならないよう地元の町で就職させたいと思ってか、中卒と同時に町の商社に早々と就職を定めてしまい、まあ、どっちでもいい、なんでもいいという優柔不断な性格が形成されていたので、まあ、それも悪くないだろうぐらいに考え、その商社に父と面接に行って中卒と同時に友達より先に社会人になれることにどことなく優越感のようなものさえ抱いていました。

 一般的に若者が抱くような夢や野望は全くなかったように思います。小中学時代はマンガを雑誌などに投稿していましたが、掲載されることはなく、将来マンガ家になりたいという夢さえ全くなく、趣味で絵が描ければいいかな程度で、現在、デザイナーを経て画家であることが、奇跡のように思えます。子供の頃から、極度の恥ずかしがり屋で目立つ存在には全く興味がなく、なるようになる生き方をなんとなく求めていたように思います。その後、先生の強い要望で中卒を諦めさせられ、高校に入学することになった時、友達より先に社会人になれる夢が破れたことにちょっぴり残念だったように思います。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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