小学校への通学路で、立山連峰の剱岳をみて「あの山に登りたい」との思いが強まり、小学校2年生のころから登山サークルへ入り、大人に交じって登った(写真/山中蔵人)
小学校への通学路で、立山連峰の剱岳をみて「あの山に登りたい」との思いが強まり、小学校2年生のころから登山サークルへ入り、大人に交じって登った(写真/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年7月7日号より。

【写真】学生時代の谷真会長

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 1982年秋、イエスタデイ事業部の副事業部長になった。「イエスタデイ」は、ファミレスチェーン「すかいらーく」の成功を経て、カジュアルで大人の雰囲気を出し、高級料理やアルコール飲料も充実させて差別化を図った。82年3月に東京都武蔵野市で1号店を開店し、9月に神戸市で2号店。その運営役を任され、ほどなく店長になる。入社6年目で30歳、抜擢だ。

 神戸店は「すかいらーく」のようなセントラルキッチン方式ではなく、専門のコックがフランス料理やステーキなどを調理し、「手づくり」のよさを出した。それでも、よくきてくれたインド人たちには、料理の温度から出し方まで、いろいろと言われた。

 その声に応えるにはどうすればいいか、考え抜いて、工夫した。すると10カ月くらいしたとき、インド人たちの客席に呼ばれ、思いもしなかったことを言われる。「我々インド人はみんな、あなたのことを認める。あなたは実によくやった。この10カ月間、いろいろ言い続けてごめんなさい。いい店をつくったね」

 うれしかった。客と接し、こんな言葉がもらえる。すかいらーくを就職先に選んだのは、ここに期待したからだ。

就活前に寄った店子どもへも配慮に自分の出番も想像

 就活の前、行楽帰りに「すかいらーく」に寄ったとき、従業員が幼児連れに、言われなくても子ども用いすを持ってきた。メニューに幼児向け料理もあった。その配慮に感心し、「このビジネスは確実に日本で成長する」と確信。自分の出番も想像できた。

 その結果が「イエスタデイ神戸店」にあった。いい思い出になったし、「客は店がどれだけ真剣に対応しているかを、ちゃんとみているな」と頷く。「何事も考え抜いて、工夫する」の姿勢は、小学校時代にみた母の姿から生まれた谷真さんのビジネスパーソンとしての『源流』だ。その流れが、神戸でインド人客の言葉を聞いて、勢いを増す。

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