一方、「50歳になってから毎年。55歳になってからは毎日。56歳になってからは常に」と老いるショックの段階的変化を報告してくれたのは宮城県の無職女性(56)。「年齢的に今が2次なのでしょうか。 日々老いを感じてるので分かりません」

 そして、胸のつかえを取り除くように一気にこう続けた。

「50歳からは階段を上るたび息を切らし、太ももの外側が痛くなり、歩けば若い方々に先を越され、顔もたるみ始め昔と顔が変わった感じがして、息子からは『白髪あるからそろそろ染めたら?』と言われるも、気の毒なのか、中学生の時のように『ババァ』とは言われなくなり、50代半ばごろに閉経を迎え更年期症状もあり、物忘れもたまにあり、老眼鏡なしではスマホも読めず、でもその老眼鏡も老眼が進むので合わなくなり、平地で足を上げてるのに引っかかって転び、股関節とお尻が痛くて受診した整形外科では『年齢的に』と言われ、閉経になってからは卵巣嚢腫になり頻尿もあるので毎日尿もれパッドが命綱。若い人がキラキラしています」

 若いころは博覧会やラン展などのキャンペーンモデルの仕事をしていたというこの女性。「変な若づくりはしない」という宣言からは清々しさも漂う。

「ほかにもたくさん老いを感じることは毎日毎日ありますが、仕方がないです。でも60歳になるのが怖いです。『そのハードルを越えるとますますいろいろあるよ』と年上の女性から言われたことがありました。対処法なんてありません。年取ってるんだから仕方がないと自分に言い聞かせて、変な若づくりはしないこと。悪あがきはしません」

 ほかにも、「甘んじて受け入れる」(前出の千葉県の会社員女性)など、「老い」との向き合い方については「達観派」が目立った。

 例えば、「40代後半にかかり始めたころ、額にシワを発見した時は衝撃だった」と振り返る東京都の専業主婦(51)。

「子どもに『ママ、二重あごになってる』と言われた時も悲しかったです。実際、鏡の前で手持ち鏡を使って横から見ると、今までなかった肉のシワができていてこれも衝撃でした。痩せているのに……」

 その後、五十肩も経験したという女性はこう続けた。

「ショックのあまりなんとか老いに抗おうとあれやこれやと手を出してみましたが、結局何かしても、何もしなくても大差がないと最近分かってきました。抗うのをやめた時、ストレスも減ったのかもしれません。老いはショックではあるけれど、いつかはこの世を去る。これが道なんだと思うようにしました」

もはや求道者の域。人は生きている限り「老いるショック」を繰り返すのだろうか。

<【後編】はみうらじゅんさんのインタビューに続きます>

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