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 2017年3月。ネパールの山中で親友チュンとユエが消息を絶った。47日後、ルオ・イシャン監督のもとに悲しい知らせが入る。ユエは救出されたがチュンは監督への手紙を遺して亡くなっていた。親友の想いを辿るように監督は二人の足跡を追う旅に出る──。追悼と鎮魂のドキュメンタリー「雪解けのあと」。ルオ・イシャン監督に本作の見どころを聞いた。

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 親友のチュンが山で命を失ってしまったとき、私は大きな衝撃を受け、彼の死にどう向き合うかを考えました。彼のことを記録しなければならない、それも事件が起こった現場で、という身体的な欲求から撮影を始めたのだと思います。私自身のトラウマに向き合い、彼が遺した言葉を多くの人にシェアしたい気持ちもありました。

 はじめはチュンと同行していたユエを通してこの事件やチュンに近づこうと思っていました。しかしユエが途中で撮影から去り、私は悩みました。「なぜこれを作るのか」と。そしてユエの背後からでなく自分が前に出て作品を作らなければと悟りました。チュンが亡くなった洞窟に行ったとき私に変化が起こりました。初めてチュンの不在を、そして自分がそこに一緒にいなかったというトラウマを受け入れられるようになったのです。自分がいま生きていること、この場所から帰って生き続けていこうと思えるようになりました。

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 もうひとつの問題はチュンの性自認をどう扱うか、でした。この事件は台湾でも大きく報じられましたが、若い男女ということで単純にチュンはユエのガールフレンドとされていました。でも私はチュンが高校時代にスカートを穿かなければならない校則に苦しんでいたことを知っています。私に自分がトランスジェンダーであり男性だと話し、遺書にも「ユエとは兄弟であり恋人でもある」と書かれています。その思いを尊重し「彼」という呼び名で描きました。ジェンダーは他人が定義するものではない、チュンの思いをそのまま映画の中で描きたかったのです。

 本作から失うこと、それとどう向き合うかということ、そして彼が遺した「大切なのは愛すること。だから愛して」という言葉が、みなさんに伝わればと願っています。

(取材/文・中村千晶)

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