
給料が増えても、それを上回る勢いで物価が上昇すれば、実感としての生活の豊かさは改善しない。生産性の向上や、海外に流出する貿易赤字やデジタル赤字を抑えるなど、根本的な経済改革が進まなければ実質的な賃上げは実現しない。
さらにもう一つ、大きな課題がある。民間の賃金が市場原理で上昇する一方で、公務員、特に霞が関で働く官僚の給与が相対的に見劣りしてしまっているのだ。もちろん、民間の平均を鑑みて、定期的に彼らの給料も見直されている。しかし、外資系の企業の待遇には勝てない。
「人手不足に頭を抱えている」と話してくれた2人目は、ある省庁の幹部だった。霞が関で働く官僚のなり手が年々減り、転職して出ていく人も多いという。
現場の仕事を回すために、最近では民間のコンサルタントへの外注が増加しているそうだ。結果的に、官僚よりも高い人件費を支払わないといけないわけだが、公務員の給与を上げることは社会的な理解が得られにくく、実行するにはかなりのハードルがあるのだという。
「人手が不足する社会」へとシフトし、社会の前提が変わりつつあるなか、これまでの制度を見直すことがあちこちで起きつつある。いま、直面しているコメの高騰の問題もその一例だ。農林水産省の官僚が対応を迫られているが、これから官僚の仕事は増えていくだろう。
外注が増えれば、コストもかかるしノウハウもたまっていかない。官僚の給料を増やすことも考えてもいいのではないだろうか。彼らは敵ではない。社会を支える味方であるはずだ。もちろん、国民のために仕事をしているか、厳しく監視を続ける必要があることは言うまでもない。
※AERA 2025年6月9日号
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