
統計に表れない仕事・能力にいかに光をあてるか
鈴木:勅使川原さんの本を拝読していておもしろいなと思うのは、いろんな切り口はあれど、ずっと同じところを目指している「一貫さん」だということ。子どもたちのために、2030年とか2050年とか、そのぐらいの遠くない未来に、もうちょっとマシな社会を残さないといけないっていう強い義務感がある。それが通奏低音になってますよね。
勅使川原:鈴木さんはご自身の病気の経験から、もっと貧困者の「なぜ?(Why)」の解像度を上げたいとおっしゃる。私はそれを何かに生かしたいと勝手に思ってるんです。
私にできることは何かって考えたら、あらゆる人のあらゆる能力を「どう包摂するか」の、どう(How)や何(What)の部分を、労働の場に落とし込むことかなと思って。
鈴木:それはすごくうれしい分業ですね! 僕にはWhyは問えても、Howは書けないから。
勅使川原:WhyにHowとWhatを付け加えることができたら、最高の高福祉国家への道が開けそう!
本来、働くことって、もっと多様なはずなんです。もちろん問題は尽きないし、画一的にものを見るのはラクなんだけど、そこから逃げてちゃ、誰もが生きやすい社会にはつながらない。だからこそ為政者や経営者に問いかけ続けないといけないと思っています。
鈴木:勅使川原さんの本って、社会学の分野なんだけどすごくルポ的なんですよね。取材対象者の語りとしての文章と、聞き手としての勅使川原さんの存在感もちゃんと入ってる。だからすごく読みやすいし、伝わりやすいんです。
勅使川原:フィールドノートを都合よく出しているだけなのかもしれませんが……。
鈴木:でも、そこは社会学でも評価されるべきところだと思いますよ。すべてに統計を取らなきゃいけないんだったら、それは統計が取れる対象のデータしか出せない、ってことなわけで。
勅使川原:そうなんですよ! 数値化とはある種の単純化。数値化されないところにこそ問題は潜んでいるし、そこを見つめたい。
鈴木:最貧困女子なんて、数字では表せないですよ。カウントされない人たちなんですから。

勅使川原:本当におっしゃるとおりですね。がんばろうと「する・しない」というときの、その「がんばる」の矛先が、能力主義では画一的なんです。私はそこを問題視してるんですよ。
がんばっているように見えるか・見えないか。そこをじっと凝視しているのは、世の中的に評価される仕事だけなんです。でも、実際にはカウントされない、評価対象にならない。けれど、とても重要な仕事はたくさんある。
鈴木:そこに光を当てないと、いつまでたっても「働きたくても働けない」人たちの「能力」は評価されないし、報われない。
勅使川原:だからこそ、今、“力”(権力)を持っている人たちに届けることが大切なんじゃないかと思っています。
(構成/浅野裕見子)