文耕の著作は、すべて写本であり、それは貸本というかたちで読者の手に届けられていた。
ひょっとすると文耕は、貸本屋だったお六の父親と親しい交わりを結んでおり、なんらかの事情で、たとえば早くに死ぬというようなことが起きて娘のお六が芸者にならざるをえなかったりすると、その行く末を見守ろうとする、といった関係が構築されていたのではないだろうか……。
もちろん、それは想像の域を出ない。しかし、私はこのことから、文耕という人物だけでなく、文耕を取り巻く人物たちについても、具体的にイメージすることができるようになっていったのだ。
お六だけではない。吉原の俵屋の主人も、弟子となるはずの森川馬谷も、文耕が罵倒する九代将軍徳川家重についても、である。
その地点から、私の初めての時代小説である『暦のしずく』は、ゆっくりと羽ばたきはじめた。
そして、新聞に連載が始められた『暦のしずく』では、お六が重要な登場人物として姿を現し、その最初のところで、この年齢の謎についてを書き記したが、単行本化に向けての加筆訂正の作業によって削られることになってしまった。それがあると、どうにも全体の流れが悪くなってしまうからだ。
しかし、『暦のしずく』の世界がこのお六の年齢への疑問から動き出したことが間違いない以上、そのことはどこかに書き残しておきたかった。
どこかに――それが、この欄ということになる。
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