そうしたある日、『馬場文耕集第二』に収めた『当代江都百化物』という作品を眺めていて、奇妙なことに気がついた。
この、『当代江都百化物』は、文耕が、講釈中に幕吏に捕縛されることになる宝暦八年九月の、その直前に世に出たものとされている。
内容は、人間をたぶらかすのはやはり人間であるという観点から、江戸に生きる風変わりな人物に焦点を当てて素描した人物誌のようなものである。
そこに、お六という深川芸者のことが、他の者についての皮肉な書き振りとは異なる、極めて肯定的な筆致で次のように記されている。
「深川中町、本屋お六と云ふ名高き芸子あり……心に伊達を忘れず……先年より芸子の中の粋と呼れし女なり」
本屋のお六、という呼称は父親が貸本屋を営んでいたからだが、奇妙に思ったのは、そのお六の、年齢について述べられている箇所である。
ここで、「怪動」というのは、奉行所による、私娼窟への手入れのことである。この怪動によって捕まった私娼は、公許の遊里である吉原に下げ渡され、奴、つまり一種の奴隷として無給で使役されたという。
お六は、この手入れによって二度ほど捕まったことになっているが、よく読んでみると、計算におかしなところがある。吉原の長崎屋で二年、深川で一年半、さらにまた吉原の俵屋で二年。これでどうして「およそ九年」になるというのか。