今年、ノーベル文学賞に輝いたボブ・ディランのお騒がせぶりはどうだろう。授賞が決まったのに連絡がとれない。拒否するのかと思ったら受賞自体は歓迎する。なのに授賞式には出席しない……。
 中山康樹『ボブ・ディラン解体新書』は、そんなお騒がせミュージシャンの伝説に迫った本。刊行は2014年だが、このタイミングで増刷になった。解体新書というだけあり、必ずしも絶賛してはいない点がおもしろい。
〈近年のディランが、ロックンロールの原点に戻り、ロックという音楽の歴史化を身をもって体現し、のみならず自らその歴史化に積極的に加担しようとしているように思える〉と著者はいう。70歳を超えたディランは、自伝を出版し、ラジオ番組で昔聞いた曲を紹介し、自身の過去の別の曲に蘇生させて伝説を更新させる。それは老成なのか老化なのか。
 ディランの歌詞はしばしば「引用」の名を借りた盗用疑惑が指摘されてきた。日本ではスルーされても英語圏ではそうはいかない。特に2000年代に入ってからは顕著だったが、本人の回答は〈フォークやジャズで引用はあたりまえだ〉〈そんなに簡単に引用で作品がつくれるなら、やってみせてくれよ〉〈ちまちま文句をつけやがって。昔からそうなんだよ〉。
 このへんから60年代に遡り、本はディランの軌跡を追う。そこから浮かび上がるのは、天才ミュージシャンというより、他者の流儀を自在に盗み、自分で自分をプロデュースする強気な顔だ。
〈かつてディランは、相手を煙に巻くことが目的ででもあるかのように、上げ底の物語を安売りし、しばしば他者の視点から「ボブ・ディラン」を語り、その作業のくり返しによって神秘性を高め、謎めいた人物像を構築してきた〉。しかし、近年ディランはその作業に疲れたように思える、と。やっぱ面倒くさい人なんだな。
 著者は「スイングジャーナル」の編集長を務めた音楽評論家。昨年1月、逝去した。ディランのノーベル賞受賞をどう感じたか、ぜひ聞いてみたかった。

週刊朝日 2016年12月9日号