自身の半生を語ってくれた女性(撮影/インベカヲリ☆)
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 現代日本に生きる女性たちは、いま、何を考え、感じ、何と向き合っているのか――。インベカヲリ☆さんが出会った女性たちの近況とホンネに迫るインタビュー、杏さんの話は続きます。

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 お金もないまま、学生寮から出て行くことになった杏さんは、やむなく東京にいる母親と暮らし始める。だが、母親は自殺未遂の後遺症が悪化しており、杖を使わないと5分と歩けない体で、そのストレスでアルコール依存症にもなっていた。

酩酊した母に刺されそうに

「あのころの母は、常に酩酊していました。私はコンビニの夜勤で働いていたので、朝方8時くらいに帰ってくるんです。母は夜に飲んでいるから、ちょうどお酒が回っているころで、鬼婆のような形相で『杏~』って出てくるんですね。私は『疲れてるからやめて』って、急いで自分の部屋に行くんですけど、絡まれて揉み合いになって、ヒートアップした母から包丁で刺されそうになったこともありました」

 そんな母の職業は、電話占い師だった。歩けないため、家でできる仕事として選んだそうだが、生計を立てられるほどに稼いでいたというから、そのたくましさに驚いてしまう。

「みんな悩み事が出てくるのは夜だから、夜に電話がかかってくるんですよ。でも夜は、母もお酒が進んでいるから、ろれつが回っていないんですよね」

 アルコール依存症の占い師に悩み事を相談する人々がいるとは、想像するとカオスだ。

自分のためにしたことがない

 杏さんは、そんな母との生活を2年間続けた。

「あのころの私は、鬱といってよかったんじゃないかな。すぐに体調を崩したし、仕事へ行くだけで精いっぱいでした」

 杏さんは、相変わらずテーブルの上のホットココアには手をつけないまま、遠い目をして言った。

「私が私のためにやってきたことって、ほとんどないんです。例えば、自分の経歴を書くとしたら、どこどこ卒、どこで何を習うとか、賞を取るとかあるじゃないですか。私は家族がちょっとでもうまくいくように全力をかけ続けてきて、自分のために成したことって本当にない」

24歳で一人暮らし

 そんな杏さんが、晴れて一人暮らしを始めたのは、24歳のときだった。

 コンビニのバイトは夜勤から昼勤になり、店舗を異動したことで新しいバイト仲間とも出会えた。

「今いるコンビニは、健全な心を持っている人たちがいっぱいいて、その影響で私も穏やかに働けています。私にとってリハビリ施設みたいな場所ですね」

 バイト仲間である年下の男性と付き合うようになり、同棲も始めた。彼氏との出会いは、杏さんにとって大きかったという。 

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