著書『答え合わせ』(マガジンハウス新書)は累計7万部を突破。漫才とは何かに始まり、M-1グランプリの採点、ストリート漫才から頂点に上るまでのこと、お笑いの未来など、漫才の見方が変わる一冊(写真:横関一浩)
著書『答え合わせ』(マガジンハウス新書)は累計7万部を突破。漫才とは何かに始まり、M-1グランプリの採点、ストリート漫才から頂点に上るまでのこと、お笑いの未来など、漫才の見方が変わる一冊(写真:横関一浩)

 ここ数年、石田の漫才の分析が注目されている。昨年10月には、自身の漫才論をまとめた『答え合わせ』(マガジンハウス新書)を出版。また、12月に開催された「M-1グランプリ2024」の決勝では、審査員に選ばれた。

 石田のお笑い分析は今に始まったことではない。中学1年生の時から大阪の劇場に通い、漫才のセリフをノートに書き留め、なぜ面白いのかを考察していた筋金入りの漫才オタクなのだ。

 大阪に生まれた石田は、小さいころ父親に遊んでもらった記憶がないという。今でこそ父と旅行に行ったりもするが、当時料理人だった父は、忙しかったのかあまり家には帰らず、緊張感なしには向き合えない存在だった。ただ母親は明るく、生活は苦しかったが楽しい子ども時代だった。好きだったのは一人遊び。広告の裏紙に絵を描いて、切って貼って人形を作り、それを動かして物語を想像する遊びに夢中になった。

「自分専用のものなんて何もなかった。親に洋服ダンスの下から2番目の引き出しを使っていいと言われて、そこに人形をしまっていました。引き出しを開けると人形たちがいて、僕の好きな世界が広がっている。その引き出しの中だけが僕の『部屋』でした」

 初めて漫才を見たのは、中学1年のとき。お笑い好きの姉が、心斎橋筋2丁目劇場に連れていってくれた。家にあるテレビは、ごみ置き場から拾ってきた何も映らないテレビ。当然、お笑い番組も見たことがなかった石田にとって、その漫才は感動するほど面白かった。一度で魅了された石田は新聞配達を始め、そのお金で劇場に通い始めた。

 劇場に通っては、その漫才の内容をメモに取る。セリフが聞き取れなかったところは、次に劇場に行った時に埋めて、自分だけの台本を完成させた。そうすると台本を読んでも面白くないのに、生の舞台ではすごく面白い人がいることに気づいた。

「劇場で好きになったネタをテレビで見ても面白くない人もいて、もう一回劇場で見たら面白かったこともあります。どうしてなのかを考えていました。自分なりにその答えを出して、言語化して、それが自分の中にたまっていったんですね」

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