ああ、民主主義は黄昏れるのみか。いや、本書は単なる診断書では終わらない。処方箋が付く。そこで本書のタイトルが生きてくる。何しろ『西洋近代の罪』だ。資本主義に民主主義をセットにし、人権だの自由だのと言うけれど、西洋近代を現実的に成り立たしめたのは植民地主義と人種主義に違いあるまい。そのひとつの究極としてイスラエル国家があろう。正義や権利を語りながらパレスチナを空間的にも人種的にも抑圧している。日本はというと、西洋近代に学び、植民地主義と人種主義を模倣して、アジアを〝解放〟しようとした。罪深い。しかしその罪を国民的に自覚せず、軍国主義者に責任を押し付け、相変わらず西洋近代の優等生のつもりでいる。認識の穴に落ちている。だから世界をセカイとしか認識できぬのかもしれない。
そして著者によれば植民地主義と人種主義は紛れもなく悪である。その悪を清算できず、内に抱え込み続けながら、気づかぬふりをしているのが西洋近代であり現代日本なのだ。単純に善の側に立てる身分ではない。内なる悪を自覚しなければ、西洋近代にも現代日本にも救いも希望も訪れないのだ。悪を自覚して身をいったん引き裂け。それが本書の処方箋だと、私は読む。殆ど親鸞ではないのか。田邊元の懺悔道を思い出させもする。とにかく。民主主義が権威主義に負けてくる理由も、民主主義にこびりついている「西洋近代の罪」を無いことのようにしているからではないのか。そこから始め直すくらいでなければ、もう滅亡への道を辿るのみ。そのくらい切羽詰まったところから著者の声は溢れ出し、我々を射抜き、悔い改めを迫るのだ。