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 ガザ攻撃、トランプ関税、ウクライナ侵攻。今現在、国際ニュースは暗鬱だ。大澤真幸さんの著書『西洋近代の罪――自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』は、先行きが見えない世界の現状を的確に分析している。

 思想史研究者・音楽評論家である片山杜秀さんは、本書を「診断書」と評している。診断結果から私たちは何を読み取るべきなのか。大澤さんの『西洋近代の罪――自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』の読みどころを片山さんが綴った書評から紹介する。

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われらの内なる悪を思い知れ

西洋近代の罪――自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』  大澤真幸 著 朝日新書より発売中

 困難な時代への痛切な診断書だ。極めて社会学的な。マックス・ウェーバーの巨視的な構想力と整理力。そして著者の師、見田宗介の微視的な想像力と共鳴力。まさにマクロとミクロとが不断に往還運動し、交響する。大混迷を極めつくして五里霧中にも思える現在が、望遠鏡と顕微鏡の二刀流による複眼的な切り口からときほぐされてゆく。

 当然ながら診断内容は厳しい。現代世界は深い断裂を走らせ過ぎている。本書はまずは断裂のカタログだ。たとえばイスラエルとパレスチナ。相矛盾する国家を互いに認め合えるルールのもとに置けない。断裂だ。米国では大統領が無茶をすればするほど怒る層と喜ぶ層とに国民が二極分解している。これまた断裂だ。

 日本はどうか。現代日本人には、リアルに世界全体を理解したいと願う真っ当な意識はあるにはある。そう著者は言う。が、うまく作動しない。世界の総体をありのままに自然に把握するというのが西洋近代の生んだ自然主義やリアリズムの文学であったはずなのに、それが日本に移入されると、私がカギ穴から世界を覗き込んで限られた視界を世界と錯覚して自足する「私小説」に化けてしまった。そんな矮小化のマジックが相変わらず今日の日本でも繰り返されているのかもしれない。著者は小林多喜二と新海誠をつなげてその宿命的な有様を診断する。公の世界をつかもうとすると私のセカイにすり替わってしまう。しかもそれで嘆くのではない。むしろ感動する。セカイ系のアニメは大ヒットするのだ。世界観を語ろうとするとセカイ観の穴に落ちる。したがって断裂は、日本の中にというよりも、日本と世界のあいだにあるのだろう。

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