24年9月6日に18歳の成年を迎えた悠仁さま。男性皇族の成年は1985年の秋篠宮さま以来39年ぶり=2024年7月、秋篠宮邸、宮内庁提供

 そして父親の礼宮さま(秋篠宮さま)は、記者から「具体的には?」と尋ねられて、

「たとえばテレビに出ている新珠三千代さんとか。最近の若い人はあんまりよく知らないので……」

 と答えている。

 おふたりとも、誰もが納得するような著名人の名前を具体的に挙げて、それ以上の追及をうまく交わす余裕を感じさせる答えだった。

 それに比べると、悠仁さまの答えにはユーモアの要素がなく、そっけない印象を受けたと河西さんは話す。
 

秋篠宮家がお子さま方とメディアとの距離をある程度置いていたこともあり、悠仁さまへの取材の機会はそう多くはなくその人柄を国民が知る機会は少なかった。6年生の林間学校に参加した悠仁さま。途中で雨に遭い、アウトドアブランドのレインウェアを着てにっこり=2018年8月、福島県・裏磐梯高原、宮内庁提供

メディアと距離を置いてお育ちに

 そのユーモアの足りなさは、皇位継承者という悠仁さまの立場に影響するものなのか。

 1947年に日本国憲法が施行され、天皇が日本の象徴という存在になってから、まもなく80年になる。

「今は、天皇だから無条件に支持される、という世の中ではありません。天皇がどのような人柄であるかが伝わってこそ、共感と支持が皇室に集まるのだと私は考えています」(河西さん)

 天皇陛下や秋篠宮さまは、生まれたときからメディアに囲まれて育ち、マスコミへの対応やジョークにも慣れている。

「一方で、秋篠宮さまの方針もあってか、悠仁さまはマスコミに露出する機会が限られ、メディアとの距離を保ったまま成長された。それが、今回の会見での遊びがなく、まるで『おことば』のような回答にあらわれていたと思います」

「会見をミスなく行ったから成功」というスタンスで皇室から一方通行で発信するのではなく、会見を通じて悠仁さまの性格や魅力を伝え、国民と皇室のキャッチボールを感じさせるものになってほしいと、河西さんは指摘する。
 

 これからは大学での学業を優先しながらも、少しずつ公的な活動に携わっていくことになると、悠仁さまは会見で話した。国民と接する機会が増すことで、これから悠仁さまへの注目が集まることになりそうだ。

(AERA dot.編集部・永井貴子)

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