テレビCMは、いまでも電通の稼ぎ頭で屋台骨だが、これもテレビという実態のないものに、CMという形で企業の金を貼り付けるというビジネスだ。そもそもテレビは、放っておけば勝手に番組が流れてくるわけではない。誰かが番組を作らなければならない。日本でテレビ放送が始まったとき、あたりまえではあるが、日本人は誰も番組を作ったことがなかった。そこで電通は演劇や映画などさまざまな分野から人材を集め、テレビ番組というコンテンツを作った。当時、テレビ局の制作の人間は、みんな電通のオフィスに出社していたという。電通が日本のテレビ文化を作り、テレビビジネスを作ったのだ。電通が単なる広告代理店ではなく、コミュニケーション会社だというのは、そういう意味である。
だから、社員の生産性という意味では、企業から金を引き出して文化を作ったり、生み出したりできる社員が、電通においては最も生産性が高い人材だと言える。そして、そうした人間には、かなりの自由が許された。それが昔の電通だったのだが、実はこうした企業の許容度は、電通ほどではないにしても、他の日本企業にもあった。
たとえば、かつて僕のクライアントだった某企業の担当者も、絶対に午前中には出社しない人間だった。彼の直属上司の朝一番の仕事は、出社してこない彼のタイムカードを代わりに押すことだった。彼はその会社の基幹商品を次々と生み出す大ヒットメーカーだったから、上司も文句を言いながらも許容していたのだ。また、とある売上数兆円規模のメーカーの人間は、地方営業所から課長として本社に戻ってきたときに、「麻雀をやりたいから」という理由で本社ビルの地下に麻雀ルームを作ってしまった。これもまた、彼が抜群の成績を上げ続けていたから、会社も目をつぶってくれたわけだ。いまならこれらの行為は完全にアウトだが、当時は日本企業も概ねそんな感じだった。
●社員の「生産性」と「労働時間」の関係は?
過労死問題を語るとき、誰もが労働時間のことばかり言及する。しかし過労死は、労働時間だけの問題ではない。たとえ残業時間が少なくとも、尊厳が傷つけられたら人はうつになるし、会社を辞めたり、最悪の場合は自殺したりする。そのことを前回記事(「電通女性社員自殺」を単なる過労死にすべきでない理由)では書いたが、今回は社員の「生産性と労働時間」の関係について考えたいと思う。