
批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。





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J・D・ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』(光文社)を読んだ。いま40歳の米副大統領が31歳のときに記した回顧録だ。
ヴァンスの故郷はオハイオ州とケンタッキー州。ラストベルト(赤錆地帯)に近く白人貧困層が多く住む地域で、彼自身も貧しい家庭の出身だ。
語られる人生は壮絶である。周囲はみな粗暴で暴力が絶えない。母親は精神不安定で恋人がころころ変わる。薬物にも手を出す。ヴァンスはその劣悪な環境から抜け出し、海兵隊と州立大学を経てイェールの大学院を卒業し弁護士となる。幸せな結婚も果たす。まさに立身出世の物語だ。
本書の中心をなすのは家族の価値の称揚である。ヴァンスは家庭環境で苦労した。しかし支えてくれたのも家族だった。祖母の存在が決定的だったと彼は記す。
それゆえ彼は経済支援中心の対策に疑問を呈する。白人貧困層の困窮は金を配って解決するものではない。問題は精神の荒廃にある。彼らには希望がないので支援が未来につながらない。ひとをそんな絶望から引き出すには生身の人間が介入するしかない。だから家族や宗教共同体が必要なのだと強調するのである。
このように要約するといかにも保守の思想だが、具体的な経験とともに語られる主張には強い説得力がある。のちトランプの右腕になるのも頷ける。出版は10年近く前だが、トランプ2期の必読書であろう。
ヴァンスという政治家はじつに多面的な強さをもつ。貧困層からのし上がったエリート弁護士だが、本書の成功が示すように文才も豊かだ。イラクでの従軍経験もある。白人のキリスト教徒だが、妻はインド系移民2世で多様性も体現している。そして何よりも若い。
今後日本はこの政治家と長く付き合うことになるが、拮抗する人物はいるだろうか。ヴァンスは84年生。81年生の小泉進次郎氏や82年生の石丸伸二氏が思い浮かぶが、ともにエリートでヴァンスのような人間臭さの対極にある。日本ではそのスマートさが人気の源だが、それだけでタフな外交を勝ち抜けるだろうか。清濁併せ呑む新世代が必要かもしれない。
※AERA 2025年3月24日号

