社長になって以来、部屋に飾ってある「義」の字をみて、いまやっていることは義に適うかと、戒め続けてきた。経団連会長でも同じだ(撮影:狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年3月17日号より。

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 1978年6月、入社5年目に、大阪市此花区にある大阪製造所(現・大阪工場)の総務部査業課へ異動した。此花区は淀川河口の南側、この4月13日に開幕する大阪・関西万博の会場がある。大阪製造所は、染料や農薬などファインケミカルと呼ぶ分野の拠点の一つだ。

 査業とは「業を査する」、事業の計画や予算を査定する住友グループの伝統的用語だ。全社の設備投資などの申請を受け取り、いいと判断すれば役員会へ起案書を出す。加えて、このときは全国に散らばっていたファインケミカルの製造拠点と研究所の立地再編が、課題だった。

 入社して4年余りいた大阪市の本社査業部査業課では、各部門から整理された情報だけがくるから論理的に考えられるが、工場へいくと「現場」には生々しい情報があふれ、「葛藤もあり、きれいごとばかりではないな」と分かる。いろいろな人が夢を持ってやっても、素晴らしい技術が活かされないで打ち切られた例がたくさんあり、そこから学ぶことも多い。

 再編は「どこに製造ラインを集めるか」「どこは閉めよう」という「現場」と対立する論点が多い。そのなかで「技術というのは大事だ」と、つくづく思った。

 技術者や研究者と議論するとき、にわか勉強でいくと、相手が分かりやすく説明してくれ、目指す方向も教わった。その基には技術屋の熱い思いがあり、聞くと「素晴らしいじゃないか」と思う。ただ、よく詰めていくと、いろいろな課題もある。連日連夜、やり合った。

配属の初日に聴いた予算や投資の査定は「謙虚な気持ちで」

 激論のなかで、一つ、胸に刻んでいたものがある。74年4月に入社して研修を受けた後、5月に配属された本社の査業課で初日に聴いた、課長の言葉だ。

「査業は大蔵省(現・財務省)主計局の主査みたいな役割で、現場からいろいろ願いごとをされるので、自分が偉くなったように思いがちだ。だが、決してそうではない。査業という機能を果たしているだけで、謙虚な気持ちで相手に接し、学んで、相手の意見をよく聞きなさい」

 やってみて、本当にそうだった。ファインケミカル分野を受け持ち、全国の製造・研究拠点からくる予算案や投資の申請などを、ヒアリングした。入社したばかりの20代前半の身で、拠点の年長者らにずけずけと切り込み、可否を判断する。それは役割なのに、「自分の力」と勘違いしかねなかった。

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意思決定の迅速化と現場への権限移譲に「小さな本社」を提言