
「芸能界をいつやめるか」ばかり考えていた
ただ、一方の田中さんには冒頭のような発言に加え、こんなエピソードもある。番組の収録が終わるタイミングがバレンタインデーだったため、山口さんは共演者やスタッフにお菓子を作り、メッセージカードを添えて渡したのだが、それを田中さんは結婚するまで大事に取っていたのだ。
「結婚してから『ほら』って見せられてびっくりしました。心のなかで気になっていたのか、単に物持ちがよかったのか……それは聞いたことはないです。でも、物持ちがよかっただけなんだと思いますよ(笑)」
順調に仕事が舞い込んできていた山口さんだったが、20代前半の頃は「芸能界をいつやめるか」ということばかり考えていたのだという。急に仕事が忙しくなったことで自分のペースがついていかず、自分が芸能界に向いているのかもわからなくなっていた。
「事務所の人に『やめたい』と言うと、少しお休みをもらってリフレッシュして、また働いて、ということの繰り返しでした。でもあるとき、『やめて何をやりたいんだ』と言われたんです。私はオードリー・ヘップバーンにあこがれていたので、『私も世のため人のために役立つことがしたいです』と答えました。そうしたら『いま20代のもえが、何かしたい、と手を挙げても誰も賛同してくれないけど、この仕事で頑張って一生懸命働いたら、何かしたいと言ったときに協力してくれるかもしれないよ』と言われて、『なるほど』と。そこからもうちょっと頑張ってみよう、と思えました」
山口さんは30歳で第1子となる長女を出産した。出産前には産休を取得したが、それは社会に出てから仕事しかしていなかった山口さんが立ち止まる、初めてのタイミングだった。時間ができたことで自分を見つめ直すと、ふと「本当に仕事に復帰できるのか」「自分だけ置いていかれてしまうのでは」という不安がこみ上げてきた。
「根本的に自分に自信がなくて、誇れるものや自信をつけられるものがほしい、という思いもあったと思います。それで『私は何が好きかな』と考えたときに野菜が好きだなと気づいて、野菜ソムリエの資格の勉強をしました。立ち止まるきっかけをくれたのも子どもだし、スキルアップしなきゃいけないと気づかせてくれたのも子どもでした。自分より大切な存在ができて……本当に自分が変わったなと思っています」