

秋篠宮家の長男の悠仁さまは昨年に18歳になり、今春からは大学生に。若さが輝く皇族方の「あのとき」を振り返る(この記事は「AERA dot.」に2019年10月29日に掲載した記事の再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
* * *
天皇にふさわしい英知と徳を身につける「帝王学」とは、どのようなものなのだろう。徳仁天皇は、小学生で論語を学び、和歌を親しい友人に贈る少年期であった。一流の学者を招いて学びの場を作った上皇ご夫妻は、令和の天皇にどのような未来を託したのだろうか。
四十数年前──。
浩宮さま(天皇陛下)は、にこにこしながら、友人に話しかけた。
「マイ・ネーム・イズ・“ジイ”」
「宮さまじゃなくて、“じい”と呼んでいいよ」
友人は、豪州から浩宮さまのいる学習院高等科に留学してきたアンドルー・B・アークリーさん。「じい」は、学習院中・高等科を通しての浩宮さまの「秘密」のあだ名だ。アークリーさんは、浩宮さまと同じ地理研究会に所属し、お正月には御所に招かれるなど親しい交流をしていた。
知り合って数年後、浩宮さまはあだ名の由来について話してくれたという。
中等科のころ、学校のバレーボールコートの近くに立派な植木と盆栽があった。通りかかった浩宮さまが、
「なかなかいい枝ぶりですね」
と思わず漏らすと、同級生が口をひらいた。
「お年寄りの趣味ですね。これからは、“じい”とお呼びしましょう」
浩宮さまは、アークリーさんにこう続けたという。
「僕は本当にこの“じい”というニックネームが好きだったんですよ」
浩宮さまは、いずれ「殿下」「陛下」とかしこまった呼ばれ方をする立場。
「くだけた愛称が許されるのも、今だけだと思ったのでしょう」(アークリーさん)
アークリーさんが1年の留学を終えて帰国した後も、2人は文通を続けた。
浩宮さまからの手紙の中には、高等科の友人らと岩手県の八幡平に登山に行ったときの様子が書かれていたものもあった。そこには宿に泊まった夜を詠んだ和歌がつづられていた。
消燈を過ぎれどもなほ騒ぎたる我らに熊の一声(ひとこえ)“はよ眠れ”
「熊というのは先生ではなく、友人の声です。みんなで同じ部屋に泊まることがうれしくて夜中まで騒いでいたら、一喝されてシュンとなってしまった様子が目に浮かびます」(アークリーさん)
2人のやり取りは英語だが、手紙には英語で和歌の解説が添えてあった。
日常を和歌に詠み、友人に贈ることのできる高校生は、そうはいない。
例えば、英国など海外の王族は、詩を国民の前で朗読する機会がある。響く声で読むその姿は、その立場にふさわしい教育を受けた人物であることが伝わってくる。日本の皇室もしかり。和歌の思い出は、天皇となるべく育てられた一端を知ることができるエピソードである。