
Z世代の女性向けエッセイ投稿サイト「かがみよかがみ(https://mirror.asahi.com/)」と「AERA dot.」とのコラボ企画は第6弾。「名字について思うこと」をテーマに、エッセイを募集しました。多くの投稿をいただき、ありがとうございました。
投稿作品の中から優秀作を選び、「AERA dot.」で順次紹介していきます。記事の最後には、鎌田倫子編集長の講評も掲載しています。
ぜひご覧ください!
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結婚して今年で15年、つまり名字が変わって15年経ったことになる。入籍を済ませ結婚式を終え初めて出勤した日、同僚に「指輪がキラキラしてる」と言われて、少し照れ臭かった日を思い出す。新しい名札と印鑑が支給された。見慣れない名前にコレが私?と不思議な感じがした。
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暫くは、新しい名字で呼ばれると何とも気恥ずかしく、病院の待合室などで旧姓と同じ人が呼ばれると、一瞬腰を浮かして変な汗をかいたり、名前を書く時書き出しを間違え、リカバリーしようとしてバランスの悪い字になったりしたが、そういうのっていつ頃無くなったっけ?
結婚して3年程経った頃転職した。同僚はもちろん私の旧姓を知らない。私は名字をもじったあだ名で呼ばれた。この転職をきっかけに、私は掲げていた『結婚して名字変わりました』という看板を降ろす事ができたような気がした。
職場でたまたま旧姓の話になった時「私の旧姓変だから言いたくない」と頑なに拒む先輩がいた。その後、学生時代の話から旧姓を知る事になったが、ごく普通の名字だった。なんであんな頑なだったのか?確かに今、改めて「旧姓〇〇だったんだね」と言われたら、ちょっと恥ずかしい。隠しているわけではないが、秘密を知られてしまった様なそんな感じだ。
1人だけ小学校の頃からずっと私を名字で呼ぶ友達がいる、今でも旧姓だ。私もそれがしっくりくる。やっぱり知り合った時の名前って重要なのだろうか?