松嶋菜々子さん(2013年)

あの時の女の子たちは、そんな番組を、どんな気持ちで観ていたのだろう。私は長い間、松嶋さんを理由もなく苦手に感じていたのだけれど、今にして思えば、性的な笑いを“させられていた”(ように見えた)松嶋さんへの居心地の悪さを思い出すから避けていた……のかもしれない。性的なことに無知であるように振る舞いながら、意図せず性的な振る舞いをすることで男たちを喜ばせ、そのことでバカにされ嗤われるという道化を引き受ける美女を、女は男のようには笑えない。

 松嶋さんが当時のことをどう振り返っているのかは知らない。それでも、深い傷つきはあるのではないか。20代だった私はただテレビの前で固まるだけだったけれど、日本中にあの姿を流され笑われていた松嶋さんは、いったいどのようにあの時代をやり過ごしていたのだろう。なによりやりきれない気持ちになるのは、松嶋さんの背後には、私たちが名前も顔もすっかり忘れている“松嶋菜々子”さんがいたのだろうということだ。大スターにならなかった “松嶋菜々子”さん、男たちのおふざけ、男たちのお笑いの中で、女というだけでオモチャにされたようなたくさんの若い女性たち。あの時代、そんな女性はテレビの中にたくさんいたのだ。

 先日、性暴力に抗議するフラワーデモで、昔のフジテレビについて語った人がいた。「どのテレビ局にも問題がある、フジテレビだけが悪いわけじゃない」と言う人は少なくないが、やはりフジテレビが突出して「女性に酷かった」のではないかと、その人は言い、その場の中高年女性たちが深く頷いていた。

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正当化されてきた女性へのイジメ