ところが、3年生になると、状況が一変する。1年上にたくさんいた上手な部員が抜け、顧問の先生が転勤した。新しい顧問の先生は音楽をよく知らず、部は自分たちで運営する。そして、部長に選ばれた。

 難題に、直面した。演奏したい曲があっても、それまでは先生が譜面を書いてくれていたのが、自分たちで何とかしなければならない。音楽大学生に頼んで何とか譜面は手に入れても、演奏の水準を上げることはできず、県大会は断念する。

 部員は約30人。どうやれば、みんなが音楽を楽しみ、部活らしさを発揮できるか。一人一人と面談した。強い言葉は、出さない。まず相手の話をよく聞いて、何をしてほしいのかをつかむ。その実現に何ができるかを提案し、一緒に目標へ向かう。『源流』が、流れ始めた。

 県立大口高校へ進むとブラスバンド部がなく、弓道部へ入った。でも、音楽と切れることはない。級友と「五人囃し」と名付けたニューミュージック系バンドをつくり、ドラムスを受け持ち、文化祭へ出演した。大学受験で1年浪人して福岡市の予備校へいき、寮から通った。勉強に集中したので楽器には触らなかったが、81年4月に九州大学法学部へ入ると、バンドが集まった部でやはりドラムスを受け持つ。『源流』は、大口市から福岡市へと流れていく。

 85年春に卒業し、福岡銀行へ入行。最初にいった北九州支店(現・北九州営業部)で、おカネの出入りを管理する出納係、送金や手形の受け渡しをする為替係、預金の出し入れや口座に関する手続きをする預金係の三つを2年間に経験。その後、行橋支店で4年2カ月、融資係をやって、銀行員の基本業務はひと通り覚えた。

意欲が先走って大事な書類を紛失同期に昇進が遅れる

 三つ目の福岡市の東南東の町にある宇美支店へいったときは、顧客第一、お客優先の心構えはもう定まっていた。ただ、甘さが残っていた。担当は2度目の出納係。基本業務だが、同じことの繰り返しで物足りず、先輩たちの融資などの仕事を手伝った。そのなかで、意欲に足元がついていかず、大きな失敗をする。大事な書類の紛失だ。

 客にも支店にも迷惑をかけ、入行9年目にくる係長から代理補佐への昇進も、同期生の3分の2はできたのに自分はできない。落ち込んだ。次の人事で県外の大分支店へ異動もした。

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人事部門でも同様に一人一人の話を聞き一緒に目標へ向かう