そこで森林氏が性欲には「支配関係欲」があると語っていた。率直な当事者の声として腑に落ちた。男性が性でつまずき、性で女たちがこれほど苦しむ理由が見えてくるように思ったからだ。問題はそういった男性の性欲が、男性自身が求め肯定する「男性らしさ」と強く結びついていることである。

 少し前に取引先の人(男性50代)から聞いたことだが、某雑貨店で一番売れているのは精力剤ということであった。風俗に行く前に、精力剤を求める客が少なくないのだそうだ(しかも男どうしで連れ合って)。1000%意味がわからなかった。風俗に行くのはそもそも精力があるから、ではないのか。なぜそれをさらに「補おう」とするのか!?!?!?!? 理解不能である。私の理解があまりにも追いつかなかったので、取引先の人が教えてくれた。精力=男らしさなのだ、と。男性が怖いのは、女に嫌われることではなく、「性欲が薄れること」なのだ、と。それはつまり、男じゃなくなることなのだ、と。

 たとえば、薄毛治療薬は男性ホルモンの生成を抑制するので抜け毛を減らすが、性欲が減退する可能性があるとされる。薄毛を選ぶか性欲を減退させるか男の人は深く葛藤し究極の選択をするのだ……と(ちなみに性欲が薄くなっても勃起しなくなるわけではないという)。

 私は女性モノの仕事をしてきて、男性の性欲については全く考えたことはなかった。でも、「一部の男性の特殊な事件」と言い切ってしまうには、あまりにもこの社会で女性たちは性被害にあっている。日常的にセクハラにあっている。それは仕事を続けられないほどの強度で。そして、女性たちは案外自分の性に向き合い語ろうと努めているのだが、男性たちは「自分の性の語り方」すら、もしかしたら知らないのではないかと思われる。

 男らしさ=性欲の強さ、というような男性観、性欲観がもたらす弊害に、日本社会が揺れている今こそ、男性の性について語っていくのが必要なのかもしれない。男性の性について語る。それが、女の#MeTooの後に求められていることなのではないか。

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