TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は映画「ブラックバード、ブラックベリー、私は私。」について。
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旅先でふと立ち寄った小さな本屋で手に取った文庫本が思いのほか面白く、時を忘れて最後まで読んでしまった。そんな読後感と同じ印象を持ったのが映画「ブラックバード、ブラックベリー、私は私。」だった。
小さな村で雑貨店を営む女性エテロが主人公である。彼女はジャムを作るためにブラックベリーを摘もうと谷川に出かけ、黒ツグミのさえずりに耳を澄ませているうちに足を滑らせ川べりに滑り落ちてしまう。
擦り剝いた脚をかばいながら這いあがると、ある幻想が頭をよぎる。
あろうことか自分の屍が横たわり、そこに村人が集まっているのだ。なんだろうこの映像はと彼女は思う。人生の際を示すような、その幻想からエテロの意識が変わっていく。生きる、ということに自覚的になるのだ。
独身で一人暮らしの彼女は村人の噂の的だった。更年期障害を相談しても「それは男を知らないからよ」とさげすまれたり。
谷川から店に戻ると配達員のムルマンがいつものように姿を現す。無邪気に孫自慢をする初老の男。店の棚に彼が洗剤を並べているのを眺めていたエテロはいきなり発情し、彼の唇を探し、抱き寄せ、下着をおろして跨がってしまう。48歳にしての処女喪失だった。