攻めてますね、NHK……とついつい嫌味を言いたくもなる。あまりにも衝撃的なセンスではないか。

 吉原で働いていた女性が客の男に殺されたのは、コロナ禍の2023年5月だった。既に大河ドラマの企画は進んでいたとは思うが、そこで「吉原を舞台にするドラマは無理ではないか」という判断にならなかったことがまず不思議である。なぜなら、「吉原」が決して過去の歴史ではないことを、あのとき、私たちは突きつけられたのだから。そこは現在進行形で行われている「男が女で遊ぶ場所」であって、現在進行形で貧困に喘ぐ女たちが働き、現在進行形で性病に罹患し、現在進行形で女が殺され、現在進行形で差別と偏見がうまれている。戦国時代じゃないから戦国時代を歴史エンタメとして楽しめるのであって、「吉原」という世界を現在進行形で生きている女がリアルに無数にいる現代で、吉原を舞台にした歴史エンタメを楽しめなんて、そりゃあムリというものじゃないか。

「吉原」をドラマで表現しないで! とまでは言わない。NHKの看板中の看板である大河ドラマでなぜに? という単純な疑問である。歌舞伎町で少女買春する男たちが社会問題になっている今、完全なる人身売買だった江戸吉原を盛り上げた男を主人公にする理由って何よ? というシンプルな抗議である。

 テレビから性的なことが流れてきて気まずいのは、それが「性的なことだから」というよりは、それがたいてい、私自身の身体を侵蝕するような居心地の悪いものだからだと思う。両親の前で、友だちの前で、私の身体は硬直する。それは侮辱されているように感じるからだ。だから耳が熱くなったりなど身体が反応するのだろう。率直にいえば、日本の公共放送でも流れてくる性的なもののほとんどが、一方的に女に欲情する側の視線だ。居心地が悪くなるのは、テレビにセクハラされているからだろう。

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これ、どういう意味?