先日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯』という番組をたまたま観る機会があった。鶴瓶さんがさまざまな地方をまわり、その土地に生きる人々と出会い、市井の人々と鶴瓶さんがあったかく交流するアットホームな番組である。しかし、そういう番組だからといって油断できないのが、日本の公共放送だ。そんなことを改めて突きつけられる回だった。

 その日、鶴瓶さんは温泉ホテルで女性に「3人(ご自分と純烈のリーダーと女性)でお風呂入るねんで」みたいな冗談を言いっていた。鶴瓶さんのその言葉に、言われた女性は「きゃぁ」とふざけ、そのリアクションの面白さが褒められるシーンがあった。

 わからない人にはわからないかもしれないくらいの、微妙な笑いであり、微妙な間である。そして「放送される」ということは、現場でも、編集段階でも、誰も「変だと思わなかった」からだろう。だいたい鶴瓶さんは暴力的ではなく、「一緒にお風呂入るねんで」とからかわれた女性は、楽しげである。相手がオジサンでも鶴瓶さんは同じことを言ったのかもしれない。でも……私たちには「これ、どういう意味?」と肩をこわばらせるのに十分な条件の社会を生きているのだと思う。だって、「エンタメ」という大義名分で、一方的にセクハラ動画を見せられることが多いから。「笑い」「ほのぼの」という文脈で、セクハラをされることがあまりに多いから。それは、おもしろいことではないから。

 NHK大河ドラマ「べらぼう」は「笑いと涙と謎に満ちた“痛快”エンターテインメントドラマ!」と謳っている。その“痛快”とは誰のものなのか? そんなことを、どうしても思わずにはいられない。「男が女で遊ぶ場所」があたりまえのようにある社会で、それをリアルな表現物として観るにはあまりに重すぎるから。

▼▼▼AERA最新号はこちら▼▼▼