「コンビニ百里の道をゆく」は、ローソン社長、竹増貞信さんの連載です。経営者のあり方やコンビニの今後について模索する日々をつづります。
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1995年1月17日。阪神・淡路大震災から早いもので、今年で30年ですね。
当時、私は三菱商事に入社して2年目。
朝、「そっちは大丈夫?」という母親からの電話で起こされ、テレビを見て驚いて実家に電話をかけ直したらもうつながらない。これは大変なことになったなと思いました。
私は畜産部で牛肉輸入業務の担当。部署では、六甲アイランドなどの冷蔵倉庫に保管している食肉の状況を把握する必要があり、地の利があるということでその役目を任命されました。でも、まだ電車も動いていない。私は大阪の実家に戻り、母親の自転車で30キロメートルほど離れた六甲アイランドまで向かいました。神戸に近づくにつれて道路がひび割れていたりして、自転車を担いで歩くことも。仕事を終えた帰り道は真っ暗。疲れ切って、どうやって実家まで帰ったか思い出せないほどでした。
とにかく信じられない光景でした。高速道路が倒れた脇を通るときの、映画の世界に自分が放りだされたような非現実的な感覚。言葉を失い、そして震えることすらできなかったような気がします。
いまでも神戸に行くと、やはりその時のことを思い出します。活気を取り戻した街を見て、人間のレジリエンス(復元力)を感じる一方で、災害の被害を最小限にする努力と備えを忘れてはいけないとあらためて強く思います。
阪神・淡路大震災のときは、当時のトップだった中内㓛さんの号令の下「とにかく開けられる店舗は全部開けろ」と全国から応援が入り必死で店舗を開け、マチの灯を消さないことで、地域の方々に少なからず勇気や希望を感じていただけたと聞いています。「災害に対して、ローソンにはやれることがある」。そこへの強い思いと問題意識は、30年前の1月17日から始まっているんです。
※AERA 2025年1月20日号