こういう反論もあるかもしれない。ロボットには、クリエーティブな仕事ができないから、小説や絵画などの購入には引き続きお金が必要になるのではないか。しかし、クリエーターが作品の対価にお金を求めるのは、お金がないと生活できないからだ。ロボットがなんでも叶えてくれる世界においては、彼らがお金を要求する理由はなくなる。
そう考えると、ロボットの活躍が増えるにしたがって、僕らはお金を必要としなくなっていくのかもしれない。
一方で、これまでの資本主義の歴史を見ていると、豊かになっても分け合うことのできないのが人間の性だ。一部の人がその技術を独占して、多くの人はスーパードラえもんの恩恵を受けられない可能性もある。
果たしてドラえもんの価格は0円なのか1兆円なのか。
安野さんは「面白いけど難しい質問ですね」としばらく考え、別の視点から答えてくれた。「ソフトウェアの価格は無料になっても、ハードウェアを作る(鉄鉱石などの)資源については価格が存在するのではないか」と。
言われてみればそのとおりだ。ドラえもんが材料まで調達するとしても、この場になければどうしようもない。かなり高い確率で、僕らが生きているうちにドラえもんは誕生しないが、その方向に進んでいくのは間違いなさそうだ。
AIによる自動化が進むほど、人間の能力や技術は必要なくなり資源国の優位性は高くなっていく。このままでは、エネルギーや資源の自給率が低い日本はますます厳しくなるだろう。そうなる前に何か手を打たないといけない。
安野さんは東京都のDX推進のアドバイザーに就任されたそうだ。東京の未来、日本の未来のために、その能力を発揮してもらえることを願っている。
※AERA 2025年1月13日号