台湾では戦後長らく国民党政権による独裁が続いていたため、学校で教わる歴史といえば「中国の歴史」。84年生まれの楊は高校生の頃に新しい歴史教育を受けた世代で、それまで教えられてきたものが「自分たちの歴史」ではなかったこと、そして自身の親世代がそれに疑問を抱いていなかったことに大きなショックを受けたそう。彼女をはじめ、今の台湾の若い作家たちは歴史認識と対峙する強靱なまなざしを持っていると感じます。

 ここ数年、書店の棚を席巻している韓国の若い女性作家たちの小説も、カジュアルな読み口とは裏腹に現実の社会に対する深い問いが持ち込まれている点が特徴。チョン・セランはその第一人者と呼べる存在でしょう。例えば『フィフティ・ピープル』(斎藤真理子訳)は50人以上もの登場人物を緻密に書き分けながら、個々の人生が重なりあうことで生まれる社会の奥行きを巧みに捉えた群像劇。彼女が一貫して描き続けてきた「優しさ」の姿は、この時代の閉塞感に負けない光を湛えています。

 そして私たちが同時代の海外文学をこんなに早く日本語で読めるのは、翻訳を担う人びとの熱意の賜物でもある。韓国文学の魅力的な紹介者として最前線を走り続けてきた斎藤真理子をはじめ、近年ではロシア文学の奈倉有里など、国境を往還しながら言葉を紡いでいく彼女たちのエッセイも多くの読者を生んでいます。

 境界を越え、共鳴しながら広がっていく言葉のありよう。24年に日本語訳が刊行されたツェリン・ヤンキーの『花と夢』(星泉訳)は、チベット自治区出身の女性作家がチベット語で著した初めての長編小説です。出稼ぎ労働者が激増した2000年代のラサを舞台に、やむにやまれぬ事情で娼婦となった4人の女性たちを描いた本作は、厳しいロックダウンが行われたコロナ禍のチベットにおいて「朗読」というかたちで爆発的に広がり、大ベストセラーになりました。非識字率が高く、特に女性は4割に達するチベット自治区で、インターネット上に公開された朗読音源に皆が聴き入り、「これはわたしの物語だ」と言わしめたこと──文学の本質に触れるようなエピソードでしょう。

 他にも、これまで記録されてこなかった女性たちの経験をすくいあげ、「母」という既存の枠組みを解きほぐしてみせた中村佑子や、世代もジェンダーもばらばらの語りを組み込んで、沖縄の「歴史」という営み自体を捉え直した21歳の新鋭・豊永浩平など、ここに挙げた10人はいずれも言葉が照らしだす領域を果敢におしひろげていくような書き手です。(寄稿)

AERA 2024年12月30日-2025年1月6日合併号