ところが警視庁にとっても遭遇経験のない大事件で、幹部は会議室にこもって情報収集と捜査指揮にかかりきりです。当方らはほとんど接触できません。同僚らと一緒に知り得る限りの捜査関係者に当たり、断片的な情報を集めます。信用に値するかを限られた時間のなかで吟味しながら一行一行を紡ぎました。
オウム事件取材中の当方の1日は以下の通りです。
午前1時半 朝刊最終版への出稿完了↓翌日付夕刊に何を書くかの会議
午前3時 解散、仮眠
午前4時 起床、朝駆けへ
午前7時 警視庁に戻り、庁内回り
午前8時 朝日新聞ボックス(警視庁内の取材拠点)で打ち合わせ、記事執筆
午後1時半 夕刊最終版出稿終了↓昼食、仮眠
午後2時半 学者にサリン生成法取材
午後4時 朝刊出稿打ち合わせ
午後7時 夜回り取材に出発
午後9時 警視庁帰着。打ち合わせ、記事執筆、庁内回り
午前1時半 振り出しの項に戻り、以下繰り返し
こんな日々が半年間続きました。家には帰れません。ウナギの寝床のような朝日ボックスか、警視庁の中にある畳部屋に潜り込み、よれよれのスーツのまま寝ていました。各社の記者も同様です。
どこも混み合っているときはトイレの個室がねぐらです。便座の上に座って仮眠を取りました。意外と休めるものです。時折、捜査員が連れ立って入ってくると聞き耳を立てます。会話が記事のヒントになりはせぬかと期待しながら。
記者として見てきた子どもの事件
退社に伴う煩多な手続きを終え、私物を持ち帰りました。引っ越しのたびに不要なものは捨ててきたつもりですが、段ボール箱が23個もありました。ああ、また家人に叱られる。防弾チョッキがなぜか入っていました。
最も多いのはメモ帳やノートです。数え切れないほどの事件や犯罪を取材してきました。見たことや聞いたことを書きつけたそれらは数百冊に及びます。表紙が破れ、紙が変色してくたくたになった帳面類をつらつらとめくると、当時の記憶が生々しく蘇ります。子どもが当事者になった数々の事件も思い出されました。