高校の屋上へ上がって神戸の街を一望するとあらためて「故郷が大好きだ」と確認した(撮影/狩野喜彦)
高校の屋上へ上がって神戸の街を一望するとあらためて「故郷が大好きだ」と確認した(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年4月17日号では、前号に引き続き日本生命保険・筒井義信会長が登場し、筒井会長の地元・兵庫県神戸市を訪ねます。

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 神戸市灘区城の下通1丁目の信号の下に「松陰薬師交差点」とある。この十字路から北へ向かう上り坂は、地獄坂と呼ばれる急勾配。その先に、兵庫県立神戸高校の校門がみえた。校舎は、六甲山系の斜面下に立つ。

 この筒井義信さんの母校を、2022年11月、連載の企画で一緒に訪ねた。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司。初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

■部活で繰り返す急坂の往復で過ごす高校時代

 筒井さんが『源流』と思うのは、故郷・神戸が持つ「新しいものに開かれた風土」だ。その風土を身に染み込ませたのが、六甲山系の麓にあった自宅と神戸高校で過ごした日々だった。

 自宅から高校まで歩いて約20分。最後の地獄坂を毎日、汗をかきながら上った。中学校で始めたバスケットボールを、高校でも続けた。体力づくりに、坂下にある体育館の前から校門へ駆け上がり、何往復もした。しんどくて、まさに地獄坂。でも、強制ではなく自主練習だ。

 そう強いチームではなかったが、2年生のときに県内でベスト4になれた。部活に明け暮れ、ガールフレンドの「ガ」の字もない。楽しみは、帰り道での買い食いくらいだった。

 久しぶりに坂を上がると、視野が開け、大理石でできた校門に着く。地獄坂は健在だ。やはり息が弾む。門の中に、横長で5階建ての校舎が続く。振り返ると、下り坂の向こうに神戸港がみえた。

 石段を上り、校舎に入る。事務室脇の掲示板に、外国への留学募集ポスターが2枚。在学中にはなかったが、いまは毎年、留学生が出るらしい。最近は若い人たちが留学をしたがらないというが、母校は送り出している。校則もない自由な校風で、生徒の自主性を重んじてきた。いまはルールに縛られ、若者たちがやりたいこともできない傾向がある。ふと、気になった。

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