
ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「学歴社会」について。
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日本には依然として学歴社会が浸透しています。まるで私が「アンチ学歴社会」の人のような書き方ですが、そんなはずありません。私ほど「学歴」という曖昧な概念のお陰で美味しい思いをさせて貰っている人もいないでしょう。「学歴」だけで渡れてしまう世間があることを私は知っています。
先日、母校である慶應義塾大学の同窓会がありました。卒業25周年を記念した大規模なものでした。オフィシャルな同窓会に参加したのは初めてだったのですが、25年ぶりに会うかつての同級生や、初めて会う同期生たちが次々と話しかけてくれる中、改めて私は「慶應卒」という学歴にもっと感謝しなければと痛感した次第です。
ろくすっぽ授業にも出ず、借りたノートで卒業し、就職もせず放浪した挙句、妙な浮草稼業へと流れ着いた私が、「慶應出身のオカマ」というだけで世間から過剰にチヤホヤされ、好き勝手に暮らしていられるのは、ひとえに私以外の卒業生たちが「慶應」の名に恥じない立派かつ厳しい社会生活を送っているからこそ。全力で「乾杯の音頭」を断って本当に良かった。
もちろん私は学歴だけに頼って生きてはいませんが、それでも「この学校にいったいどんな恩返しができて、何の役に立てるのか?」と考えさせられる一日でした。考えたところで、せいぜいクイズ番組で凡ミスをしないとか、文章を書く際も恥ずかしくない日本語を使うとか、その程度しか思い浮かばず……。そもそも彼らが生きる社会の中では、「薔薇」や「dictionary」を5秒以内で書けたぐらいで「さすが慶應!」とは絶対言われないでしょう。「あそこの御主人、慶應出てるんですって!」と近所で噂されたり、「慶應出ているからって偉そうにしないでよ!」なんてアンチ攻撃に遭うことはあるかもしれませんが。しかしそれらすべてをひっくるめて「学歴社会」というものなのです。
様々な思いに耽りつつ旧交を温めていたら宴も酣(たけなわ)。気が付くと「あれだけはやりたくない!」と散々言っていた「皆で肩を組んで校歌斉唱」の輪に加わっている私がいました。「ほら、徳光君もやるよ!」と強引に私の腰(肩は届かなかった様子)に手を回してくれた女子たちにこれまた感謝。