広大なアフリカ大陸のうち25カ国を訪ねてきた、フリーランスライターで武蔵大学非常勤講師の岩崎有一さんが、なかなか伝えられることのないアフリカ諸国のなにげない日常と、アフリカの人々の声を、写真とともに綴ります。
アフリカに割り勘はない。その場の誰かが代表して支払うのが通例だ。しかし、誰が支払うかによって、時に人を傷つけることもあると岩崎さんはいう。そこには、深く優しいルールがあった……。
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期せずして、友を傷つけてしまいそうになった。
今年の1月、マリの首都バマコに到着した私は、友人ハミドゥと再会した。具合の悪い叔母を見舞うために、モプチからバマコを訪ねていたのだ。ハミドゥの弟アダマがバマコで1人暮らしをしており、彼は弟の部屋に泊まっていた。
同国中部から北部にかけての取材では、私は、なにからなにまでハミドゥの世話になっている。今回の取材も、ハミドゥにあちこち同行してもらうこととなっていた。彼とともに、同じバスでバマコからモプチへとたつ予定だった。
バマコでの取材をいったん終え、ハミドゥとアダマを訪ねると、アダマがモプチ行きのバスのチケットを買ってきてくれるという。バスの料金を知っていた私は、一人分の金をアダマに手渡した。その金を見て、彼はけげんな表情を浮かべた。
「お兄さんの分は?」
マリでは割り勘がないことを、私はすっかり忘れていたのだった。私は慌てて、2人分のバス代をアダマに手渡した。
マリに限らず、アフリカ各地を訪ねるなかで、誰かと時や場をともにした際に発生した料金を、私は割り勘で支払ったことがない。各個人の考え方や地域性もあるのかもしれないが、私が目の当たりにした限りでは、西アフリカでも中部アフリカでも、東でも南部でも、その場の誰かが代表して支払っていた。
親子や兄弟、社長と従業員など、上下関係がはっきりしている場合は、誰が支払いを担うのかは明確だが、友人どうしの場合はなかなか微妙だ。私とハミドゥの関係においては、チケットを買うべきなのは私のほう。ハミドゥよりも私のほうがはるかに金を持っていることが明白だからだ。持てるものが持たざるものの分を支払うことは、友人という対等な関係においても、ほぼ自明の事柄となっている。