「漂流教室」「おろち」などで知られ、恐怖漫画の第一人者だった漫画家の楳図かずお(うめず・かずお、本名・楳図一雄)さんが10月28日、死去した。88歳だった。2012年に週刊朝日でインタビュー。漫画が大ヒットした30代の忙しかった時期や、恐怖の原点、断筆について語っていた。楳図さんを偲び、週刊朝日2012年4月6日号の記事を配信する。(年齢、肩書等は当時)
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小学5年生で手塚治虫作品『新宝島』に出会い、漫画家を志した鬼才・楳図かずお氏(75)。出版社から「あなたの漫画は芸術的すぎて、商業的じゃありません」と言われ、恐怖漫画に活路を見いだすも、恐怖体験をしたことのない楳図氏は恐怖について考え込んでしまったという。その時に思い出した恐怖の原点について、楳図氏が語る。
やっぱり怖いっていうのは自分が体験をしてみないとわからないんですよ。僕が描いたものを見て「よっぽど怖い、変な体験をしてるんだ」と思う人がいるんですが、まったく違います。恐怖体験なんて全然ない。
じゃあ「自分が怖かったことってなんだろう?」と考えて、5歳のころに父親がよく寝ながら話してくれた昔話を思い出したんです。当時住んでいた奈良県の村にある「お亀池」に伝わる「へび女」の伝説です。
あるとき若い男のところに奇麗なお嫁さんが来る。で、赤ん坊が生まれる。しかし、どうやらお嫁さんが夜な夜などこかに出かけていくらしい。朝方廊下を見ると水に濡れた足跡がぺたぺたついていて……と、まあこのへんでちょっと怖いんですが(笑)。こういう話のどこが怖かったか、どのへんで緊張したか。そういうのを思い出して、そこをしっかり押さえた話を描けばいいんだなと。
当時こういう話を父親は電気消しながらするんですよ。僕は怖いけど、でもそれでめげてたわけじゃなくて、やっぱりおもしろかったんですよね。だから何度も父にお話を催促した。「怖い。けどおもしろい」。これが僕の恐怖の原点です。
※週刊朝日 2012年4月6日号