(撮影/写真映像部・上田泰世)

――木村さんの現場時代のお話をきかせてください。新卒でグループの統括会社ソニー・ミュージックエンタテインメントに入社して、事業会社の中でも、アーティストのプロモーションや販促、制作などいわゆるレコード会社の仕事がメーンでした。

木村:アーティストをヒットさせるというミッションをチームでやる仕事。誰もが通りそうな失敗もたくさんありました。例えば、20代のころ、ある新人アーティストのミュージックビデオの予算管理まで任され、北海道の旭川まで撮影に行き、完成してから事務所の偉いかたに「イメージと違う」とOKをいただけずお蔵入りしたことがあります。撮影までに方向性やイメージを詰めていたつもりだったんですが、結局「ダメ」。何百万円もかけたものがパーになってしまいました。

 勤務スケジュールがハードで寝坊したこともあります。キャンペーンに行くとき、目が覚めたら、飛行機の出発時間で、マネージャーとミュージシャンだけで現地入りしてもらい、追っかけようとしたらお盆の帰省シーズンでチケットが取れずに、必死で羽田のカウンターで交渉したり……。そんな若き時代もありましたね。

 でも、現場は楽しかったし、仕事が好きだと思える瞬間がたくさんありました。アーティストの生きざまを近くで見られて、才能とエネルギーを作品にすることに関われる。他には代えがたい最高の仕事です。

――心に残っている仕事はありますか?

木村:新人の若手バンドと、九州地方の高校の吹奏楽部がコラボレーションする仕事に出合えたことがありました。部活の顧問の先生が熱血で、こちらが望んだ以上の、何倍ものことをやってくださる方でした。その先生のエネルギーと指導と吹奏楽部の演奏に感動してしまって、おもわず「CD出しませんか」と。

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