第102代首相に就任し、記者会見に臨む石破茂氏
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 派閥の裏金事件によって落ち込んだ信頼を回復することが急務の石破自民党。しかし、党内に改革の覇気は乏しく、回復を阻む弱点もある。そんな中で、石破茂首相は、野田佳彦元首相が率いる立憲民主党との対決に臨む。AERA 2024年10月14日号より。

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 自民党の総裁選は異例続きだった。石破氏をはじめ高市早苗・前経済安保相や小泉進次郎・元環境相ら過去最多の9人が立候補。小泉氏が解雇規制の緩和などの「改革路線」を打ち上げたが、地方の党員らの反発を招いて失速した。9月27日の投開票では、地方票と議員票の合計で1、2位となった高市、石破両氏が決選投票で対決。石破氏が岸田文雄前首相や菅義偉元首相らの支持を得て、逆転勝利した。

 靖国神社への参拝などを掲げる高市氏には、保守系グループが全面支援。党員票の獲得に向けてフル稼働した。欧米で勢いを増す極右勢力とも重なる流れが日本にも押し寄せていることを感じさせる。

 総裁選の最終盤では、岸田氏らベテラン議員の中で「高市氏の勝利は阻止しなければならない」という動きが強まった。石破氏自身も、林芳正官房長官や加藤勝信元官房長官(現財務相)、森山裕総務会長(現幹事長)らに接触、決選投票での支持を求めた。結果的には、林、加藤、森山各氏ら自民党内の穏健保守勢力が「反高市」で結集。それが石破政権の誕生につながった。

「挙党体制」をアピール

 石破氏は1957年、鳥取県知事や参院議員を務めた石破二朗氏の長男として生まれた。慶応大学を卒業した後、三井銀行(現三井住友銀行)に入行。田中角栄元首相の書生を務めた後、86年の衆院選(旧鳥取全県区)で初当選した。衆院に小選挙区比例代表並立制を導入することを柱とする「政治改革」を訴え、93年に小沢一郎氏らとともに自民党を離党。新進党などに加わったが、その後、自民党に復党した。防衛庁長官(現防衛相)などを歴任。2012年の総裁選では安倍晋三氏との決選投票に臨んだが、敗北して幹事長に就いた。その後、地方創生相などを務めたが、党内では「反主流派」が続いていた。

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自民に改革の覇気なし