シベリア鉄道の車窓からの夜明け
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シベリア鉄道の車窓からの夜明け
ホテルから見たハバロフスクの街
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ホテルから見たハバロフスクの街
沖はまだ凍っているアムール川
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沖はまだ凍っているアムール川
道を教えてくれた2人組
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道を教えてくれた2人組
チョコレートのお店まで案内してくれた女の子
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チョコレートのお店まで案内してくれた女の子
今回の旅の戦利品
今回の旅の戦利品

 チケットを買い直して、シベリア鉄道の車両に乗り込んだ。入り口におじいさんのような車掌さんとおばさんの車掌さんがいて、わたしの部屋の入り口まで案内してくれる。座席は部屋のように仕切りがあって、開けてみると、下の段に椅子。上はベッドになっている。これは4人用なのか?2人用なのか? 4人は入れる感じだ。男女、2人などということはあるのだろうか? 男女のチェックなんてなかったが。可愛いロシアの女の子と2人になってしまったら、どうしよう? iPhoneの同時通訳ソフト、iTranslateに頼るしかない、などと考えていると、iPhoneのバッテリーが残りわずかになっている。

【ロシア旅行記、その他の写真はこちら】

 これはたいへんだと客室の中を探すが、コンセントがない。ふと、ドアの外を見ると、列車の壁にコンセントがある。さっそく、コンセントにさして充電、と思ったのだが、充電マークが点灯しない。あれ、あれ?と悩んでいると、隣で、走る車窓の景色を見ていたロシアの青年が、下、下、という相図を送ってくる。下を見ると、もう一つのコンセントがあった。そちらに差し込むとすぐに充電を開始した。つまり、上のコンセントは壊れていたのだ。青年にお礼を言う。いいやつそうなので、話でもしようかと思ったが、億劫になり止めてしまった。やはり、言葉の壁は厚いのか。飛行機に乗ってロシアに渡り、二日間歩き回って、疲れてきていたのかもしれない。列車が走り出しても、部屋の中には誰も入ってこない、ということは、4人部屋を独り占めか?

 可愛いロシアの女の子と2人で過ごすシベリア鉄道の旅の夢は破れたが、1人で過ごすのも悪くない。東京から持ってきたつまみと、スクリューキャップのチリ・ワインで乾杯だ。テーブルには真っ白なクロスが掛けてあるが、少し赤ワインをこぼしてしまった。ごめんなさい。

 廊下にiPhoneを出して充電しているので、ドアを少し開けて、見張りながら飲んでいたのだが、誰かが持って行ってしまうというような危険な感じが全くない。
 眠くなったので、個室に鍵をかけ、椅子の上に横になって眠った。
 夜中、突然大きな音で、ドアを叩く人がいる。開けると、女性の車掌と、中年男性が立っていた。男性は客室に入ってきて、わたしの向かいの席に荷物を置いた。途中の駅から乗車してきた、この客室の新入りのようだ。それから、車掌はわたしが寝ていた椅子を見て、椅子の背もたれをひっぱった。すると、背もたれの中からベッドが出て来た。そして、椅子の上のクッションのようなものを開けて、棚になっていることを教えてくれた。ベッドはふかふかだった。男性とわたしは、かんたんな挨拶をして、それぞれのベッドで眠った。横になって、女の子と2人になることもあるのだろうかと、いらぬ心配をしながら眠りについた。

 ふと目覚めると、窓の外に幽かに明るくなってきた空が見える。シベリア鉄道から見る夜明けだ。向かいのベッドの男性はまだ眠っているので、シャッター音の出ないカメラで写真を撮った。

 早朝、ハバロフスクに着くと、日本の旅行会社が用意した、もともと乗るはずだった列車の入り口に行き、わたしの名前を書いた紙を持った男性に声をかけた。初老の男性で、乗っているはずの客車ではないが、とわたしに質問した。わたしは、昨日の旅行代理店の男がチケット持って帰ってしまったので、チケットを買い直したのだと日本語で説明したら、わかったというような顔をした。日本語がわかるのかも?
 車でホテルに向かう。坂が多く、トラムとよばれる市電のようなものも走っている。坂と市電を見たためか、サンフランシスコを思い出した。

 ホテルは、アムール川沿いの丘の上にあるインツーリストというホテルだ。
 大きなホテルだ。まだ朝早く、チェックインの時間になっていない。荷物だけ預けて街へ出ようと思っていると、フロントの女性が「まだ、チェックインの時間ではないが、部屋の準備ができているので、特別に入ってもいいわ」と言った。ラッキーである。それから、「パスポートを渡して、帰りに返すわ」という。パスポート持ってなくて大丈夫なのかなあと思いながら、部屋に入った。さすがに疲れたのか、そのまま小一時間眠ってしまった。

 目が覚めると、ちょうど昼時だった。食事をしようと散歩に出た。街に向かって歩いていくと、右側が大きなアムール川だ。冬には完全に凍結して対岸まで歩いて渡れるという。今は、岸辺は水だが、沖に出るとまだ凍っている状況だ。しかし、極寒という寒さではない。川沿いに歩いて、坂を下って、しばらく行くと公園に出た。わたしのイメージではもう街中に出るはずなのだが、おかしい。方向感覚がおかしくなっているようだ。ちょうど近くを歩いていた女の子2人に道をたずねた。1人の女の子が、一生懸命地図を見て教えてくれた。聞き終わってから、写真を撮影してよいですか?とたずねると、気軽にOKしてくれた。可愛い子たちだった。とくに、地図には全く興味を示さなかった女の子は素敵な笑顔を見せてくれた。

 目的地は、サバリナ通りにあるカバチョークというレストランだ。ウクライナ料理の店だ。ボルシチとキエフ風カツレツとビールを注文する。ボルシチは、ウラジオストクでも食べたのだが、ウクライナ風はニンニクが入っているのが違う。うまい。サワークリームとニンニクとハーブを混ぜたソース?が別の器に入っていて、お好みで、加えて食べる。キエフ風カツレツは、バターをいっしょにくるんで揚げたチキンカツで、添えられたマッシュ・ポテトとよく合う。ビールがすすむ。お店の造作は山小屋風で、女の子たちは、ウクライナ地方の民族衣装を着ている。ウクライナにも行ってみたくなる。

 ビールを飲んだせいか疲れが出てきて、部屋に戻って休むことにする。ところが、宿泊しているホテルは高い丘の上にあり、街からも少し離れている。歩いて帰っただけでますます疲れ果ててしまった。といっても、ビールとワインはしっかり調達しておいた。
 こんなにあっさり帰ったのには、もう一つのわけがある。夜は、ホテルの最上階にあるナイト・クラブに行こうと計画していたのだ。パンフレットには、ムーラン・ルージュ・スタイルと書かれている。
 パリには20歳の時に行ったけれど、ムーラン・ルージュは外からお店の外観だけを見て、中には入っていない。まだ若かったし、1ドルが360円の固定だった時代だ。貧乏旅行だったので、はじめから諦めていたのかもしれない。やはり、パリも再訪しなければいけないな。

 さて、ひと休みして、夜の8時頃、ナイト・クラブに行った。お店の前には誰もいない。しかも静かだ。中に入ってみた。店の入り口に男が一人いたが、客か従業員かわからない。しかも、わたしを見ても無視だ。店には、その男が一人。店は閉まっている感じではない。しかし、どちらにしてもおよびでない感じだった。わたしは、もう少し遅い時間に出直すことにした。

 とりあえず夕食を食べようと思って、ナイト・クラブの隣を見ると、和食の店がある。一回くらいは、ロシアの和食料理がどんな様子なのか覗いてみようと中に入る。店の女の子がわたしを見て、あ、日本人だ、と反応したのがわかる。そして、「ジャパニーズ?」と聞く。そうだと答えると、女将さんを呼んでくる。2人ともロシア人だ。その後、厨房からアジア人の板前が顔を出すが、わたしに話しかけてこないところをみると日本人ではないようだ。
 酒を頼むと、「辛丹波」が出て来た。なぜかホタテが食べたくなり、刺身で注文してしまった。それと、イクラ。
 イクラは塩漬けで美味しかったのだが、ホタテの刺身は、ただ二枚の殻を開いただけのものが、豪華な氷の上に二つ乗せられてきた。ホタテは、殻から外されてもいない。わたしは箸やナイフを使って、悪戦苦闘の上、一つを平らげたが、もう一つを食べる気にはなれず、ソテーしてくれる?というと、一つだけではできないと言われる。諦めて、残すことにする。部屋に戻ると、そのまま眠ってしまった。
 二晩しかない、ハバロフスクの初めての夜は、こうして過ぎていったのだった。

 次の日は、ホテルのすぐ近くの極東美術館に行った。イコンを見るのが、一番の目的である。地図ではすぐ近くなのに、美術館が見つからない。近くを歩いていた若い男性に道をたずねると、オレについて来いという感じで、先に立って案内してくれる。ロシアの人たちは、みんな親切だ。美術館について、ドアを叩いて中のスタッフを呼んで、この人が見たいんだってさ、と説明までしてくれる。いいやつだったが、その男性の写真は撮らなかった。

 中に入ると、首から提げたわたしのカメラを見て、なにか言っている。わたしは、禁止なら撮りませんよと言うと、違うという。どうも、撮影するなら、入場料とは別に、撮影代がかかると言っているようだ。入場料200ルーブルを払うと、あと200ルーブルだという。これが撮影代のようだ。二度目の200ルーブル渡すと許可証のようなものをくれた。そして、隣の部屋へ案内される。そこで、荷物をクロークに預けさせられ、それが済むと、椅子に座れという。そして、青いビニール袋のようなものを渡され、靴の上からかぶせるように言われた。美術品をほこりから守るための靴カバーであった。

 現代絵画のような部屋を通っていくと、イコンの部屋があった。教会で見た荘厳な印象とは違うが、古いイコンがもつ、その力は、わたしに来てよかったと思わせてくれた。その後、さまざまな肖像画などがあって、最後に、ロートレックの作品が展示されていた。企画展のようだ。ロートレックが、モデルらしい女性と向かい合っている写真などもあって、興味深かった。ロートレックのポスターを中心にした企画だった。

 その後昼食を取るために、メイン・ストリートのムラヴィヨフ・アムールスキー通りへ出る。今日の目的は、ペリメニ専門の店、ペリメンナヤだ。
 ペリメニとは、シベリア風の水餃子。中身は肉。日本の餃子に似ている。ペリメンナヤはソ連時代から続く店で、昔ながらの内装である。ソースをどちらにするかと聞かれたが、どんなソースがあって、なにを選んだのか覚えていない。中年の女性が一人で切り盛りしていた。立ち飲みスタイルで、わたしがいる間、3~4人の客が入れ替わりしていた。みな、一人で来ていた。若い子はいない。食べ終わると、お店の女性が日本語で「おいしい」と言った。わたしも「おいしい」といい、グッド・ジャパニーズと親指を立てた。おばさんは、うれしそうだった。

 お土産を買うことにする。すぐ近くに、ターイヌィ・リミスラーというおみやげ店がある。マトリョーシカをはじめ、ナナイ族の工芸品などもある。わたしは、マトリョーシカを追加した。この店では、すべてのマトリョーシカを開けて並べ、問題ないことを確認してから包んだ。見た中で一つだけ、お店のスタッフが「これはだめ」と言って、不合格にした品があった。

 次に、チョコレートのデパートという店があるので、チョコレートも買うことにする。ところが、すぐ近くのはずなのに、また道がわからなくなってしまった。近くを歩いていた女の子にたずねた。彼女は「この店、知ってるわ」といって、わたしについてきて!というそぶりを見せ、前に立って歩きはじめた。そして、一区画ほど移動して、ここよ、とばかりに指さした。デパートというから大きな建物かと思ってしまって、見つからなかったのかもしれない。小さな可愛らしいお店だ。女の子に礼を言い、写真を撮っていいかとたずねると、うれしそうにポーズを取ってくれた。英語もわかる賢そうなチャーミングな女の子だった。

 少し早い夕食として、グスタフ・グスタフという自家製ビールの店に入る。
 ビールとソーセージを頼む。店のテレビでは、ディープ・パープルがオーケストラをバックに、《ハイウェイ・スター》を演奏している。また、店の中に、ドラムスやギターなどバンド・セットがセッティングされている。ライヴ演奏もするようだ。お店の人に、ライヴは、何時からやるのだとたずねる。女の子のスタッフは、ちょっと待ってという合図をして、代わりに男性スタッフがやってきた。彼は、「これは、ディープ・パープルだ」という。わかってるよ(笑)。「あそこに置いてあるドラムなどでの演奏は、何時からやるのか?」。彼は理解して、「8時からだよ」という。「毎日、演奏してるよ」
 気が向いたら来ることにする。

 外へ出て、タクシーを拾うことにする。手を上げると、タクシーは止まってくれない。その中の1台の運転手が、ダメダメというように手を振って、走りすぎて行った。
 どうも街中でタクシーを止めて乗ることは禁止されているようで、店に呼んで乗らないとだめなようだ。また店に戻るのもいやなので、けっきょく、ホテルまで歩いて帰る。文字がわかればバスくらい乗れたのに、とも思うが。バス停からホテルまでも近いわけではない。今度はタクシーの乗り方などを学ばねばな、などと考えながら、ホテルまで戻った。

 同じ店に続けて2回行くのも興ざめなので、先ほどのグスタフ・グスタフのライヴは諦める。それに、今日は昨日行きそびれたナイト・クラブが待っているではないか。2日目は初日より遅い、夜の10時になってから、ナイト・クラブへ行った。しかし、やはりお店には、客が一人もいない。今日こそは、と思っていたので、スタッフを呼ぶと、黒いチョッキ姿のスタッフが出て来た。ショーは何時からやるの?とたずねると、1時だという。深夜1時?とたずねると、そうだよ、ここがいっぱいになって、すごい盛り上がるよ、と言っている。ほんとうかなぁ?といぶかしく思いながらもエレベーターで下りようとすると、エレベーターから女の子たちが3~4人下りてきた。確かに、踊り子たちは集結しているようだ。確認のため、ロビーに下りてみる。ロビーにも、誰一人として人影はない。
 部屋に戻り、ウォッカを飲んだ。それが失敗だった。またしても寝てしまった。ロシアの最後の夜も、そうして過ぎていった。

 ムーラン・ルージュ・スタイルのナイト・クラブの喧噪を想像しながら、朝食を食べた。最後の日は、朝食を食べたら空港に向かう時間だ。
 フロントでチェック・アウトをする。フロントの女性は、わたしの部屋の鍵を受け取ると、OK、といった。すでに、日本で精算済みなのだ。
 ロビーのソファーに座って、旅行代理店のガイドが来るのを待った。と、そのとき、パスポートを預けていたのではないか、と気づいた。パスポート入れを開けてみると、やはり、ない。
 フロントに行き、「パスポート?」というと、ちょっと待って、といった感じで、いくつかパスポートが入った箱を探し、あったわ、といった感じで渡してくれた。
 もしわたしが気づかず、パスポートを持たないまま空港に行ってしまっていたら……。そう考えると腰が抜けそうになり、思わず引きつった笑みがこぼれた。
 ガイドは、時間通りにやってきた。昼過ぎには成田に着いた。
 ロシアの人たちは、みな、親切で優しかった。身の危険は感じなかったが、自分のことは、自分で守ることの大切さを、あらためて感じた。
 この文章を書きながら、また行きたい気持ちになっている自分がいる。 [次回6/1(水)更新予定]