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 1980年代を席巻した伝説のバンド・ブルーハーツ。世界でも類を見ないほどポピュラリティを得た存在となった彼らを模倣しようとした若者たちが多数生まれ、一大バンドブームとなった。ブルーハーツの音楽性は当時「ビートパンク」と呼ばれていた。だが、このビートパンクは「子供騙しの市場」しか生み出さなかった。本稿は、川崎大助『教養としてのパンク・ロック』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。

ヴィヴィアンが仕掛けた
「ラバーソール」ブーム

 1980年代末のその当時、たとえば渋谷センター街をものの数分も歩けば、楽器を肩に担いだバンド・キッズか、あるいは「ラバーソール」の靴を履いた男女の何人かを目撃することができる、と言われていた(事実そのとおりだった)。

「インディーズ」バンドやその追っかけファンが愛用した厚底のゴム底靴――日本でのみ「ラバーソール」と通称される――の出どころは、もちろん直近ではヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンの一連の「仕掛け」からだった。

「テディ・ボーイズのスタイルをパンクに取り込む」という例のやつだ。これによって、それまではテッズの愛用品だったジョージ・コックス社製のゴム底シューズ「ブローセル・クリーパーズ」が、ピストルズ・スタイルの一部となった。そこから流れに流れて、コピー商品が山のように作られて、「イカ天」バンドたちも履くようになった。

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