日本精機宝石工業が製造している2350種類のレコード針の一部(写真:日本精機宝石工業提供)
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 いまだ衰えを知らないZ世代のレトロブームのなか、レコードが再評価されている。息を吹き返したアナログ技術の継承の現場を取材した。AERA 2024年10月7日号より。

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「人間が五感を研ぎ澄ませて作り上げた製品には作り手の思いが宿ると信じています」

こう話すのは日本精機宝石工業(兵庫県新温泉町)の仲川幸宏社長(58)だ。同社は輸出先が100ヵ国を超える「レコード針」の世界的メーカー。アナログレコードの人気再燃を受け、この数年で欧米、アジア、南米などに20社の販売代理店と相次いで契約。世界のレコード愛好者から絶大な支持を得ている。

10分の1ミリ単位の精度、まるで「オペ中の外科医」

創業は1873(明治6)年。もともと縫い針を製造していたが、戦後、レコード針の製造に切り替え、大成功を収める。転機は1980年代。CDの普及でレコードが一気に下火になり、最盛期に約100人いた従業員は10分の1に。仲川社長の父親の先々代社長は歯科用バーやダイヤモンド工具の製造も始める一方、「海外にはまだお客さんがいる。お客さんが1人でもいる限り作り続けよう」とレコード針の製造を続けた。

この判断が奏功する。売り上げの7~8割を占める海外からの受注で細々と生産を続けるうち、世界的なレコード人気の再燃という予想外の出来事に直面した。米国でレコードの販売枚数がCDを上回ったのは2022年。レコードが息を吹き返した要因として仲川社長は複数の現象を挙げる。

転機の一つは、08年に米国を中心に開かれたアナログレコードのイベント「レコード・ストア・デイ」。世界中のレコード店と愛好者がアナログレコードの魅力を発信するイベントが同年以降、毎年4月に開かれるようになり、日本でもレコード人気が定着した。その後に登場した、「サブスクリプションの音楽配信サービス」や「インスタグラム」もレコード人気を後押しした、と仲川社長は指摘する。

サブスクは商売がたきではないのか。そう問うと、「私も当初はそう思いましたが、実態は逆です」と仲川社長は言う。どういうことか。

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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