日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年10月7日号では、前号に引き続きライフコーポレーションの岩崎高治社長が登場し、「源流」である社長就任時に東京本社があった東京都板橋区高島平を訪れた。
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2006年3月1日、創業者の清水信次氏の指名で、社長に就任した。誕生日が1966年3月27日だから、ぎりぎり「30代の社長」。清水氏が「その方がニュースバリューがある」と、交代時期を繰り上げた。
前年の株主総会前に「社長をやってほしい」と打診された。でも、専務としてやるべきことも、やりたいこともできていたから「いまのままでいいです」と、押し返す。だが、清水氏は心臓に弱点がみつかり、交代を急いだ。12月下旬、大阪府の店を回っているときに電話をかけてきて、3月1日の交代を告げられる。三菱商事からライフコーポレーションへ出向して7年弱、15人いた役員で2番目の若さだった。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
この8月半ば、社長になったときに東京本社があった東京都板橋区高島平を、連載の企画で一緒に訪ねた。慶応大学体育会バスケットボール部の4年目、早稲田大学との伝統の早慶戦を準備不足で惨敗した。そこで生まれた「事を成すには力まず、はやらず、徹底的に準備することだ」との心構えが、ビジネスパーソンとしての『源流』となって、10年余りいた高島平で流れが勢いを増す。
食料品販売のシェア10%から11%へで売り上げが1割増に
都営地下鉄三田線沿いの東京本社が入っていたビルは、改築工事中で面影はないが、ここへくればいろいろなことが、思い浮かぶ。99年5月に出向して取締役・営業総本部長補佐になったとき、頭だけで考えた「いいこと」に急いで動かず、まず現場の実情をつかむことにした。当時、首都圏と近畿圏に合わせて約190店。店の配置や店長の考え、競争相手の状況などを頭に入れていく。回り終わるまで、約1年をかけた。