江戸そばで西日本進出を狙う「ゆで太郎」(写真:アフロ)

「街のおいしいそば屋のFC化」

「私は大学時代、中学校の教員を目指していました。ところが先輩がその頃はやり始めた『ほっかほっか亭』を『一緒にやってくれ』言ってきたのです。弁当を食べて感動して快諾し、22歳でフランチャイズチェーン(FC)店のオーナーになりました。4店舗まで増やした時に本部からスカウトされました。そして本部の社員として出会ったのが、水信さんだったのです。水信さんは、そば屋の独立資金を『ほっかほっか亭』のFC店を経営することで捻出しようとしており、その頃は4店舗を経営していました」(池田氏)

 水信氏のFC店は順調で、利益を元に念願のそば屋を開業した。腕は確かなので評判となったのは驚くべきことではなかったが、ひょんなことから水信氏が「立ち食いそば」の経営にも乗り出したことで興味深い展開になっていく。

「立ち食いそばは現在でも狭い店舗で経営することが多く、麺もつゆも工場など他の場所で作って持っていくのが一般的です。また当時は“安かろう悪かろう”という店も少なくありませんでした。ところが水信さんの立ち食いそば店は、ご自身が経営しているそば屋の麺とつゆを使っていたから味のレベルが全く違う。たちまち人気店となり、水信さんは『ゆで太郎』の経営に乗り出したのです」(同)

 一方の池田氏は本部で頭角を現し事業所長を経て役員に就任した。ところが、会社の売却や社長交代などを大きな転機を目の当たりにして「ほっかほっか亭」の退社を決意する。

「自分で飲食ビジネスを始めようと模索していると、そばに関する案件が同時に3つも飛び込んできたのです。縁を感じて水信さんを思いだし、連絡を取って再会すると、あれよあれよという間に私が『ゆで太郎』のFC化を担当することになりました。そして2004年に『株式会社ゆで太郎システム』を設立したのです」

 池田氏が勝算を見いだしたのは「立ち食いそばのFC化」ではなく「街のおいしいそば屋のFC化」だった。熟練のそば職人が持つ技術をマニュアル化し、水信氏の味をFC化して展開すれば、必ずヒットすると確信したのだ。

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