学校や仕事、生活での悩みや疑問。廣津留さんならどう考える?(撮影/吉松伸太郎)
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小中高と大分の公立校で学び、米・ハーバード大学、ジュリアード音楽院を卒業・修了したバイオリニストの廣津留すみれさん(31)。その活動は国内外での演奏だけにとどまらず、大学の教壇に立ったり、情報番組のコメンテーターを務めたりと、幅広い。「才女」のひと言では片付けられない廣津留さんに、人間関係から教育やキャリアのことまで、さまざまな悩みや疑問を投げかけていくAERA dot.連載。今回は、大学で動物行動学を学びたいという女子中学生からの「食と命」に関する疑問に答えてくれた。

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Q. 私の母は不幸な目にあっている家畜やペットのことを知ってから、動物のお肉を食べられなくなりました。廣津留さんはお肉を食べないペスカタリアンだそうですが、やはりそういった経験が背景にあるのでしょうか。私は母の気持ちに共感はできるけど、お肉はやっぱりおいしいと思うので、モヤモヤします。生き物の命について、どう考えますか?

A. 私が肉を食べないのは、アレルギーや宗教・思想的な理由からというわけではなくて、「かわいそうだったから」というのが大きな理由です。私は小さい頃、いろんな動物のぬいぐるみで遊ぶのが大好きだったんです。友だちのような存在だったから、動物を食べるという発想がなかったんですよね。「ブーちゃんかわいい。こんなかわいい子を食べることなんてできない」なんて言っていたら、本当に食べられなくなったというか。かわいい豚が出てくる映画とかを見ると、もう絶対無理!と子どもながらに思っていましたね。

 父と母は肉を食べるので、家では別メニューになることがありました。2人が焼肉をしている横で、私だけ魚の干物を食べているなんてことも。母は私に食べてほしくて「これは魚だから」と騙し騙し肉料理を出すこともあり、そのおかげで唐揚げや餃子、とり天などは舌が勘違いをしていて、例外的に食べられます(笑)。ただ、基本的にずっと食べてこなかったので、今では肉そのものの味が完全に苦手になってしまいました。「ピーマンが食べられない」のと同じような感覚で、「肉が食べられない」という、いわば好き嫌いの一種なんです。ちなみに、魚介類に対しては当時「かわいそう」とは思わなかったようで、昔から大好物です。

 食と生き物の命の関係については、いろいろな考え方があります。思想や宗教だけでなく、近年では気候変動などの環境問題でもしばしば取り上げられます。私自身は、「肉を食べるべきではない」とは考えません。肉を食べるか食べないかの選択は、人それぞれの自由だからです。ただ、生命や環境の視点からも「命をいただいている」というリスペクトや感謝の気持ちを忘れてはいけないですよね。

 中学生の質問者さんが、このとても難しい問題について考えているのは本当にすごいことです。ご家族とはもちろん、友だちともぜひいろいろ話し合ってみてください。そうやってご自分で考え続けるということが、いちばん大事だと思います。

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食事に行くことが決まったときに聞かれる英語のフレーズ