元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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ハノイで何が一番印象に残ったかって、それは「路上」だ。とにかく路上であらゆることが行われている。行商の人(なぜか絶対女性)は果物やおこわやカバンや服を売り、昼時には「にわか食堂」が発生して歩道はギッシリとプラの机と椅子で埋まり、ふと見れば、料理の下拵えも路上でおしゃべりしながら行われている。歩く隙間もありゃしない。なんというか、路上が「家の延長」なのだ。生活が家の中で完結せず、路上にはみ出している感じ。
中でもびっくりしたのが「路上茶」。どこへ行っても至る所に大きなお茶のポットを携えて路上の椅子に座っているおっちゃんおばちゃんがいて、そこへ近所の人が寄ってきてお茶を飲んだりおしゃべりしたり、思い思いに過ごしている。一応料金は取っているようだが商売というより町内会の集いみたいなもの? とはいえ路上だし会員制でもないし、誰でもふらりと座ればお茶が出てくるユルい場所なので、あらゆる年齢の人が自由に来て自由に去っていく。街の共同居間なんですね。
最初は見慣れぬ光景に怯んだが、慣れてくるとこれがなかなか心地よいのだった。部屋にいれば一人ぼっちだが、玄関を出てすぐそこの路上に行けば、コーヒーを飲んだりビールを飲んだりしながら、近所の人がワーワーおしゃべりしているのを眺めることができる。それだけで、自分も近所の一員になった気がしてくる。そして実際、何日もそうやっていると顔見知りもできて、会釈してくれたり扇風機をこっちに向けてくれたり、言葉は通じずとも何かと面倒を見てくれるのである。
ついでに言えば、滞在先のアパートの中庭は物干場で、みな自由に針金を渡してパンツやブラジャーなど普通に干していた。要するに、ご近所は「大家族」なのだ。
日本だって昔は井戸端会議とかあったんですよね。でも暮らしが豊かになると全てが家の中で完結するようになった。そしてみな孤独になっている。豊かさは難しい。(追記 帰国後の台風被害に衝撃。皆様どうしておられるか)
※AERA 2024年9月23日号