昭和のニッポン朝まで飲む客らの求めに応じて繁盛へ

 でも、周辺に焼き鳥屋があり、何の特徴もない店に、客はこない。「どうしよう」と思って1年余りがたち、軍資金が底をつくころ、前号で触れた深夜のラーメン屋の繁盛を目にする。そこで、他店が閉まる午前零時ごろから勝負した。バブル到来直前の昭和のニッポン、飲み足りない、しゃべり足りないビジネスマンたちがきてくれた。「客が本当に求めているのは何か」を基本に置く、第一歩だ。

『源流Again』では2000年11月に開いた「丸亀製麺」の1号店にも、寄った。「創業店」という看板があり、利美さんが書いた字が彫られていた。90年代末に父の故郷・香川県へいった際、行列ができていた小さな製麺所に入ると、製麺機を据えて客の目の前で小麦粉から讃岐うどんをつくり、ゆでて椀に入れて出している。客は素朴な味はもちろん、できていく過程を楽しんでいた。

 衝撃を受け、気がつく。「この体験価値が、客のニーズだ」

「丸亀製麺」1号店へ入ると、店内を指さしながら、四半世紀前の数字がすらすらと出る。

「そのまま焼き鳥をやっていてもよかったのですが、体験価値を知ってしまったので、どこかで実験したいとの思いが募りました。選挙事務所の跡で、図面を鉛筆で引き、大工さんと2人でつくりました。面積は212平方メートルで92席、駐車スペースは43台分でした」

生徒会長で体験した役割分担で目標達成企業運営の原体験に

 いままでに「これくらいで、もういいのではないか」と思ったことは、ない。どこまでいっても、さらなる成長を求めた。父が亡くなった中学校時代に芽生えた「豊かになりたい、何かをしっかりやりたい」との思いに、終点はない。

 故郷を再訪した日、夫婦の母校の県立加古川東高校へもいった。校門へ近づくと、「懐かしい」を連発する。校内へ入るのは、卒業以来44年ぶりだ。中学校に続いて高校でも生徒会長に立候補し、選ばれる。チームをつくって役割を分担し、共通の目標を達成した。企業運営の原体験をした気が、している。

 思い出深い生徒会室に案内されると、現役の役員らがいた。自らの卒業後の歩みを簡単に紹介した後、「加古川の皆さんにお世話になって、ありがとうございます。高校の110周年事業に、何かプレゼントするよ。頑張って下さい」と加えた。

 創業期の「客がこない」という場面は、いまでも夢にみることがある。あまりにも強烈で、「客にきてもらいたい」との強い意志に結び付き、客に「体験価値」を共有してもらう手間ひまもやり抜く。もし創業で簡単に成功していたら、そこに至らず、もっと合理的に進めたのではないか。そこからは「丸亀製麺」のコンセプトは、おそらく生まれてこない。

 母校や「トリドール3番館」の跡地、「丸亀製麺」の1号店を巡り、そう確認した。利美さんが、ずっと、微笑んでいた。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年9月23日号

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