粟田さん「そんなに親しくしていたわけではないが、生徒会で1年間くらい近づけた記憶はある」 利美さん「彼は高校時代、優等生ではなかったが、人気者でみんなを喜ばせるのが好きでした」(写真/狩野喜彦)

高収入の運転手の職新聞の求人でみつけ朝から晩まで働く

 1961年10月、神戸市で生まれた。父は兵庫県警の警察官で、刑事畑を歩んでいた。両親と2歳上の兄の4人家族。3歳のときに父が加古川市に買った家へ引っ越して、県立加古川東高校を出るまで暮らす。高校を出た後も近くに住み、持ち株会社にする前のトリドールの株式を上場した2006年まで、加古川市で過ごした。

 中学校に入ったころ、父がくも膜下出血で亡くなった。家計は父の年金と母の内職が支え、奨学金も出て、暮らしに困ることはない。それでも心の底に不安が生まれ、将来は豊かになりたい、何かをしっかりやりたい、と思い始める。

 大学受験で1年浪人し、神戸市外国語大学の夜間部へ進む。学費は、日中のアルバイトで稼ぐ。そのなかで店を持つことが夢になるが、軍資金がない。大学をやめて新聞の求人欄で報酬が高いところを探すと、「月収50万円」というトラックの運転手があった。すぐに入社して朝から晩まで働き、気がつくと600万円が貯まっていた。

 殺伐とした日々だったが、夜中に近くへ軽トラックの屋台がくるようになり、のぞきにいくと、若い男女が焼き鳥屋をやっている。その男女との会話で心がなごみ、自分も焼き鳥屋を持とうと決める。『源流』の水源が、溜まり始めていた。

「トリドール3番館」の跡地再訪には、一緒に開店した妻の利美さんが同行した。幼稚園から高校まで同じ学年で、利美さんは大学進学でいったん兵庫県を離れたが、アルバイト先の店に客としてやってきて再会した。「いま何しているの?」と聞かれて「店を持ちたい」と言うと、手伝ってもいいニュアンスの言葉が返ってくる。話が進み、開店の数週間前に結婚した。2人の回想は、一致した。

 85年8月末、2人で「トリドール3番館」を開く。神戸市や姫路市でも空き物件を探したが、値ごろ感と高校時代の友だちが多い安心感から、故郷を選んだ。広さは8坪で、カウンターに10席と小さなテーブルが二つ。店名は、語感のいい片仮名にしたかったのと「将来、店を三つは持ちたい」との思いから「トリドール3番館」とした。それ以上の意味は、ない。

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昭和のニッポン朝まで飲む客らの求めに応じて繁盛へ