英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。
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篠田節子さんが1997年に発表したディストピア小説『斎藤家の核弾頭』を読んだ。舞台は2075年の日本だが、ここに描かれた日本の設定が凄い。
「故なき差別」は悪だが、「理由ある区別」は社会のために必要とされ、国家主義カースト制が敷かれている。特A級のエリート男性は何人子どもをつくってもよく、B級以下は人数制限があり、最下級では一人子どもができると去勢される。女性は特A級男性と結婚し、たくさん子どもを産むのが最高の出世だ。働いて自立する女性は下層の女と呼ばれ、結婚や出産を拒む女性は人格障害者扱いさえされる。
日本がかような国家になったのは、大地震や性感染症の大流行、経済混乱による超円安などの国家危機で政治と経済が大混乱し、社会にカオスと暴力が蔓延したからだ。安定を取り戻すため、倫理規範に基づく家族主義を単位とする国家主義が一世紀を経て復活したのだという。
24年の日本にも「上級国民」「二級国民」という言葉はあるし、「結婚や出産は上流階級の人がすること」という声は8年前に私も日本で耳にした。
ゾッとしたのは、小説の中の日本が実現させた家父長制に基づく超保守主義は、独裁者やファシズムとセットになっていなかった点だ。そうではなく、「極めて日本的な」「国家効率主義」とセットになっている。それは独裁主義でも民主主義でも、資本主義でも社会主義でもない、単なる効率主義なのだという。
だから、裁判官や大学教授などの特A級国民もコンピュータ(今書くならAIだろう)に仕事が置き換えられると、専門分野しか知らないつぶしの利かない人間として、社会の役に立たないと判断され廃棄物処理される。環境破壊で人間が居住可能かわからなくなった土地に家族ごと送られ、安全性の実験材料にされるのだ。廃棄物も社会のため無駄なく有効に使われる(リサイクルされる)のだ。
効率性が正義になる国家という設定には、妙な説得力がある。「失われた30年」が始まった頃にこの小説を書いた著者は、2075年に向かう過程にある日本に、「コスパ」「タイパ」という言葉が生まれていることを予見していただろうか。
※AERA 2024年9月23日号