プロスケートボーダー:堀米雄斗(ほりごめ・ゆうと)(写真:松尾/アフロスポーツ)
この記事の写真をすべて見る

 3年前の東京五輪に続き、パリ五輪でも栄冠を手にした。あの逆転劇はいかにして生まれたのか。AERA 2024年9月16日号より。

【写真】AERAの表紙を飾ったプロスケートボーダー 堀米雄斗はこちら

*  *  *

 着地を決めた瞬間、一声大きく吠えた。その後の表情はうれしさをかみしめているようにも、こみ上げる思いをこらえているようにも見えた。パリ五輪スケートボード男子ストリート決勝。堀米雄斗は最後のトライであるベストトリックの5回目を前に7位とメダル圏外にいた。2回目から4回目まで、同じ技を連続して失敗。だが、土壇場で大技を決めて逆転、五輪連覇を果たす。

「5本目は振り切れたというか、自然と焦りはなくなって、今までにないくらいに集中できていました。着地した瞬間は乗れたことに対する喜びも、この3年間のキツさから解放された安堵感も、いろいろな感情がありました。点数はよくわからなかった。でも、早川さん(大輔コーチ)が叫びながら喜んでいるのが見えて、あぁやったんだなって」

 2021年の東京五輪で新競技の初代王者に。スケートボード界のスターは、一気に国中の注目を集めるようになった。だが、それからの3年間を堀米は「地獄」と表現する。滑りの感覚は悪くない。しかし、パリ五輪につながる予選会では点数が伸びなかった。今年6月まで、選考対象となる7大会で優勝ゼロ、表彰台もわずか1回。勝てない時期が長くなるにつれ、プレッシャーも大きくなる。連覇への信号は黄から赤に変わりかけていたが、6月の選考会最終戦で優勝し、かろうじて代表に滑り込んだ。苦しみぬいた3年間の末に得た栄冠。振り返って言う。

「地獄だったからこそ、それに向き合うことができた。自分も新しいステップに行けました。この3年間は、僕を強くしてくれたと思います」

 6歳で本格的にスケートボードに乗りはじめ、高校卒業と同時に本場・ロサンゼルスにわたって技を磨いてきた。いま、25歳。スケートボーダー堀米雄斗の挑戦はこれからも続く。(編集部・川口穣)

AERA 2024年9月16日号より

AERA 2024年9月16日号

著者プロフィールを見る
川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

川口穣の記事一覧はこちら