西加奈子の直木賞受賞後第1作となる『まく子』は、小さな温泉街に暮らす小学5年生の男子、慧が主人公だ。
全校生徒50人、クラスメイトは12人。ほとんどが幼なじみのそのクラスに、コズエという誰もが認める綺麗な転入生がやってくる。彼女は母親ととも人。ほとんどが幼なじみのそのクラスに、コズエという誰もが認める綺麗な転入生がやってくる。彼女は母親ととに、慧の親が経営する温泉宿の従業員用の寮で生活する。クラスの男子も女子もコズエに魅了されていくが、当初、慧は意識的に彼女と距離を置く。無理もない、慧は第二次性徴を迎えたややこしい時期の男子だ。天真爛漫にでれでれするわけにはいかないどころか、どんどん肥大していく睾丸をこっそり見ては自己嫌悪に苛まれる日々を送っているのだ。
大人になりたくないとさえ願う慧だったが、コズエと関わっていくことで、その考え方に変化が訪れる。コズエは、タイトルにある「まく」子だった。古城の石粒をきっかけに小石、木の実、葉っぱ、消しゴムのカスなどまけるものがあれば、何でもまいた。否応なしに慧はコズエに惹きつけられ、対話を重ねていく。
ボーイ・ミーツ・ガール風にはじまった物語は、こうして哲学小説の様相を帯びはじめる。同じように小学校高学年の男子を主役にした小説をいくつか書いてきた私は、この変容に深く納得した。肉体の成長に直面した子どもは、その劇的な変化に引きずられるように、それまでは気にもとめなかったことに悩み、考えはじめるからだ。例えば、作中にあるように、どうして人は死ぬために成長するのか、と。
慧はコズエに先導されながら、ひょっとしたら大人も、死期が近づいた人さえも答えが出せずにいるかもしれない命題に挑む。つまり、考えつづける。そして、壮大で華麗なクライマックスを迎えてある解にたどりつき、その意味を丁寧に語ってみせる。
そこに開陳されたのは無論、作者である西が慧に寄り添いながらようやくたどりついた、朗々と生きていくための哲学である。
※週刊朝日 2016年4月15日号